「特別何の肩書もありません。家は一般家庭、普通のサラリーマンです」
「普通の……鈴木祐真さん」
彼女は瞳をぐっと見開いて、名刺から僕の顔に視線を移して、擬視した。
どうしてそんな人間がここにいるのでしょう?という表情に見える。
「鈴木さん、お仕事の邪魔をして申し訳ございません」
こう言う時だ。ことさら腰の低いお詫びをする時、人はそのお詫び以上の負荷を投げ掛ける。「理由を聞いてくださったのは、鈴木さんが初めてです」と、これまた殊更に特別扱いを思わせる発言をしたと思ったら、案の定、
「ぜひ、相談に乗って頂けませんか」
そう来たか。
「私は、もう何度もお見合いをしています。ですが断られ続けているのです」
「でしょうね」あ、ヤバい。思ったつもりが口から出ていた。が、雑誌をめくるお嬢様の耳には届かなかったらしい。
「それ以上に私が失望するのは……あのような一般的な方の中に、魔法使いが一人も見つからないという事なんです」
これには黙っていられなかった。一般的と仰いますが。
「見た所、あのお相手はかなりの家柄。一般的とは言い難いのでは」
「あの方は、普通の方ではないのですか」
「別に区別する訳じゃないですが、一般的とか普通とかいう感じとは違うと」
お嬢様は、そこで僕の名刺を穴の開くほど見つめて、
「鈴木さんは、一般家庭、普通のサラリーマンと仰いました」
「そうです。僕みたいなのが普通で一般的です。実情は、普通よりちょっと下ぐらいでしょうか」と、へりくだって見ました。何故かお嬢様には、じいぃぃっと見詰められている。中流家庭、迷彩男子が、そんなに珍しいか。
「どうすればいいでしょう。魔法使いを探すには」
「まだ探しますか」
「魔法使いは居ないという結論に達するまで、探したいと思っています」
居ねぇよ。
ぶすりとやる訳にもいかず、「うーん」思わず腕を組んで思考を巡らせた。
もし僕にこういう妹が居たら〝フザけた事抜かすな。さっさと就活しろ〟と檄を飛ばすだろう。実際、妹なんか居ないからよく分からないが、頭の中では、高町家に報告できる結果を出さなくてはと、僕はそれをずっと模索していた
「いきなりオカルトを持ち出されたら、普通、相手は引きますよ」
いいですか。
今の僕は、まるで上杉部長が乗り移ったみたいだ。
「仮に、魔法使いが居たとしましょう。〝あなたは魔法使いですか?〟と聞かれて〝はいそうです〟と簡単に認めるでしょうか。どうしてそれを知っているのか。恐らく、あなたを警戒する筈です」
論理の破綻は無いはずだ。我が社で培ったプレゼン・スキルが物を言う。
「本当だわ。もしかしたら今まで知り合った方の中に、魔法使いが居たかもしれないのに。私ったら何という失敗を」
だからと言って、また過去の男を遡られても困るな。
「高町さん、今は、これからの事を考えましょう」
「はいっ」そこからお嬢様は一歩前に近付いて来る。「私はこれから、どうすればいいでしょう」と目を輝かせた。思わず、こっちが一歩後ずさる。
「もし次の出会いがあるとして……まずは、高町さんの基本的な部分を分かって頂きましょう。相手が心を開いてくれるまで待って、その上で、そういうオカルト趣味を面白いと感じている事をアピールすればいいのです。上手く行けば、結婚まで進む筈です」
お嬢様は、その瞳をキラキラさせている。魔法使いが見つかる筈です、とは僕は一言も言っていないのに。お嬢様は1言も聞き洩らすまいとして、熱心に1つ1つを御丁寧にメモに書き留めていた。
もしそのメモが、高町社長を始めとする家族の誰かの目に留まったとして。
僕の言ってる事は高町家の意向に添っているか。それを頭の中で反芻する。
「お付き合いとは、このような流れが普通ですか」
「例え魔法は使えなくても気に入ったらお付き合いするという流れが普通です」
僕は淀みなくスラスラとのたまう。
「鈴木さん」
お嬢様は、不意に思い詰めた目をした。
「それが、私の1番の悩み所です。好きになった方が魔法使いなら言う事無いのです。好きになれない方が魔法使いだったらどうしましょう」
「即、お断りして下さい」
お嬢様は目を剥いた。何を言うのかと咎めるような目つきが意外性を放つ。
「そんな、勿体ない事を」
「無理やり決めようとする事の方が勿体ないです」
僕は言い放った。
「高町さんのような方には、これからも沢山の方がお見合いを申し込んで来られます。それこそスペックの高い男性がゴロゴロやって来ます。喜んで下さい。あなたはどれでも選び放題。一人ぐらい断ったからといって困りません」
お嬢様はメモする事も忘れて、聞き入っている。
「腑に落ちました。一筋の光が見えてきたようです」
え、これで?
「窺っていると、私は今まで偏った方とばかり出会っていたのですね。様々な分野からゴロゴロ来て頂けるように、私はもっと活動領域を広げなくては」
「その通りです」
僕は腹の中でガッツポーズを取った。これがうっかり、油断に繋がってしまう。
「まだ22でしょう?出会いはこれからですよ」
「……私が22歳だと、どうして分かるのですか」
「あ、いえ、見た所、それぐらいかな?と」
「まさか、鈴木さんは魔法使いですか」
ギョッとした。「ち、違います」
「仰る通りだわ。簡単にはお認めになりませんね」
「いや、本当に違いますから」
お嬢様の疑いの眼差しが貼りついて離れない。手元を見もせず、お嬢様は赤ペンで雑誌に不可解な模様を描いた。何だか妙な事になってくる。
「あの、本当に違いますからね?止めて下さいね?そうやって疑うの」
時計を見ると、もう2時になる。結果、お嬢様とは1時間以上も話し込んでしまった。
「私ったら、いけない。鈴木さんにお茶を」
「いえ、お構いなく」
「そういう訳には参りません。隣に使用人がおりますので呼んで参ります。ここのパティシエにも申し伝えて特製の焼き菓子を」
ギョッとした。
「た、高町さん、誰も呼ばなくていいです。もう失礼しますので」
「では、エントランスまでお見送り致します」
いいと言っても彼女は聞かない。通路を行く人を気にしながら、僕は足早にエレベーターを目指した。
エレベーターを待つ客は何人か居て、到着したエレベーターにお嬢様は真っ先に自分が入った。僕も同じく、というかいつもオフィスでやるように真っ先に入り、そこからまるで左右対称デュオで躍るアイドルみたいに、お嬢様とは息の合った動きで共にボタンで指に触れ、目が合って、お嬢様はお見合い写真そのまんまの笑顔を僕に向けた。
エレベーターが動き出す。
「鈴木さんは、普段どんな魔法を」
「使いません」
「では、これまでにどんな魔法を」
「使った事ありません。今も昔も」
「ま、何て手強い方」
可愛いだけではございません、そのような目で悩ましく見上げてくれる。
エレベーター内のお客が全員外国人で命拾いした。1階に到着すると、ゲストを先に見送る。着物姿の可愛いお嬢さんに誘導されて外国人ゲストも大喜びだ。
残された僕とお嬢様で、さぁどっちが先に出るのかと、文字通りお見合いをしてしまう。確かに、可愛いだけではない。エレベーターのマナーからみても、普通以上にデキたお嬢さんだと思った。社会勉強というアルバイトも、あながち無駄とは言えない。だからこそ残念で仕方がないのだ。魔法魔法と周囲を困惑させて、社会生活で失笑を買う場面が目に浮かぶ。
出入り口を前に目が合って、丁寧にお辞儀された。そこから、彼女は立ち去る事無く、僕の姿をじっと見ている。
「そんな期待されても……箒も絨毯も、現れませんよ」
うふふ、と笑った。
「ただ見ていたいのです。鈴木さんを」
彼氏でも無い男に向かってそんな台詞、それも悩ましい目線で囁くとどうなるか……分かっていない。こういう女子が団体に1人居るだけで、仲間が引っ掻き回される。本人、無意識に厄介な存在になっては居ないだろうか。奇異な趣味も加えて、兄として高町社長の心配の種は尽きないと心から同情する。
ちょっと先で振り返った。お嬢様は、まだ見ている。手を振って来たので、無視も出来ないと、周囲を気にしながら僕も小さく手を振った。
地下鉄に消える前、また振り返った。さすがに見ていないと思いきや、お嬢様はタクシー乗り場から身を乗り出してまで、こっちを見ている。
……だから、箒も絨毯も、現れませんって!
迷彩男子〝鈴木くん〟の実力を見よ。
ちょうど雪崩れ込んできたスーツ軍団に紛れて、僕は階段を駆け降りた。