「ねぇママ〜」

ぎんという男が放心状態の桜の肩を揺さぶっている。

「な、何で私があんたのママな訳…?
何がどうなってるのか全然分かんない…」

「ママ〜」

次第に男の力が強くなっていき、桜の身体は視界が大きくブレる程揺すられていた。

「ママってば!」

「もうっ、何よっ!」

「あのねぇ、ぎんねぇ、ここ痛いの」

「え…?」

言いながら後頭部に手を当てた男に、桜は俯いていた顔を上げた。

「痛いの痛いの飛んでけ〜ってして?」

見ると、そこには大きな瘤が出来ていて、自分で触ったのが痛かったのか男が顔をしかめる。

「何これ…
もしかして、ゴミ置き場に倒れた時に頭でも打った…?
ね、ねぇ、これどうしたの?
どこにぶつけた?」

「分かんない。
でもすっごく痛いの。
ね、痛いの痛いの飛んでけってして?」

下から上目遣いで見つめられて、不覚にもドキッと心臓が跳ねた。

「え、あ、ちょっと…?」

「して?」

…わざとなのだろうか。
わざとこの男、子供のフリをして私をからかっているんじゃないだろうか。

今まで人を本気で信用する事など無かった桜の心は疑心暗鬼状態で、男の無垢な瞳に狼狽えるばかりだった。

「ね、して?」

だが、男の目に嘘偽りは無い様に思えた。
もしこれが演技だったとしたら、もうこの男はアカデミー賞ものだ。
その視線に耐えられず、男の後頭部にそっと手を当てる。

「い、痛いの痛いの…飛んでけ…」

「えへへ〜、ありがとっ!
もう痛くないよっ!」

そう言ってニッコリ笑った男が一体何を考えているのか、桜には皆目見当も付かなかった。

それに、もう熱は下がっのだろうか?

見る限り、顔色も良いし男は健康そうに思えた。

「そうだ、電話…」

「なあに?
もしもしするの?」

昨晩のあの礼儀知らずな電話男を思い出して、桜はテーブルに置いておいたぎんという男の携帯電話を手に取った。

「着信履歴…あ、あった。
犬…?
何、犬って…あだ名か何かかな…」

携帯電話の液晶にはただ一言、『犬』とだけ表示してある。

正直、昨晩のあの態度に桜は嫌気が差していたのだが、差し当たり現時点で頼れそうなのは彼しかいなかった。