その日、僕は授業を終え学校から道場までの道のりを歩いていた。

早く、道場に着け。
早く、空手がしたい。


早く 早く 早く、、、


「敦也」

名前を呼ばれた。

振り返ると智司が僕の方を真っ直ぐ見つめて立っていた。
人にじっと見られるのは苦手なのに、僕は智司から目を逸らせない。

相変わらず、綺麗なエメラルドグリーンの瞳をしていた。
ずっと見ていると吸い込まれそうだ。


「なんでやられっぱなしで我慢してんの。それでいいのかよ」

智司は怒っていた。僕はすぐに、僕がクラスから嫌がらせを受けていることを気づいたんだってわかった。けど、

「何のこと?」

と、返した。智司には関係のない話だ。智司は優しいからこんな僕を放っておけないんだろうけど、いちいち首を突っ込まないで欲しかった。

僕が智司から目を逸らし、また前を向いて歩き始める。

「だー!かー!らー!敦也、クラスのみんなから嫌がらせ受けてるだろ。俺最近お前つけててさぁ。そしたらお前、ゴミ箱ん中から自分の教科書取り出したり、この間は下駄箱ん中に押しピン入れられてたろ??」

”足の裏に押しピン刺さって、すげえ痛そうにしてたし。”
智司は笑いながらそう言った。

この男は結局、人を笑いにきたのか?

「大体犯人は検討ついてんだからさぁ、文句言ってやろうとか思わねえの??」

「このままじゃなんか悔しくね?」

「あいつらより敦也の方が頭はいいじゃん?」

「自分より成績悪い奴にそんなことされてむかつかねぇの?」

ペラペラよく喋る奴だと思った。
それにこの男は初対面から僕の事を”敦也”と、呼び捨てにしている。
馴れ馴れしい奴だ。でもその馴れ馴れしさも、智司だから許されるんだなぁと思った。


「別にいいよ。心配してくれてありがと。僕、早く道場に行かなきゃ」

僕は、また歩き出した。

「道場?道場ってなんの?お前なんか習ってんの?」

智司は僕の前に立ち、歩く僕の邪魔をする。

「空手だけど」

答えないとどいてくれそうにないから、仕方なく答えた。

「え!すげえ!俺、見学させてもらっていい?」

「はぁ?」

智司は目を輝かせながらそう言った。

その後、智司は本当に道場を見学した。
僕をずっと目で追っていたから正直視線がうざかったが、エメラルドグリーンの綺麗な瞳に見つめられるとなんだか特別な気分になれた。

「なんか敦也ってすごいんだな。頭も良くて、空手もできて、俺にないもの沢山持ってる。心底、憧れるよ」

智司の目はお世辞を言ってるようには見えなかった。

「俺な、ずっと敦也と友達になりたかったんだ。だから話かけたりしてたんだけど、なーんかいっつもそっけないじゃんか!嫌われてるんかと思ってた。あ、もしかして実は嫌い?」

智司はにひひと歯を出して笑い、鼻をさする。
相変わらず、よく喋るなぁ。

「嫌いなわけ無いよ」

僕は、本心だった。

いつもクラスの中心にいて、いつもまわりを見ている智司を、憧れていたのは僕だって同じだ。

こんな暗い僕と友達になりたいなんて言ってくれたのは、智司が初めてだった。

嬉しいのと同時に、智司は案外繊細な奴なんだなとも思った。
僕のそっけない返事、ずっと気にしてたんだ。

なんだか智司の事をもっと知りたいと思った。智司はどんなことに傷つき、どんなことに目を輝かせ、どんなときに笑うのか。



数日後、智司は僕と同じ道場で空手を始めた。

智司の空手は、本当に楽しそうだった。
見ている方が笑顔になる空手なんて今迄あっただろうか。

智司が始めて出た試合の後には(智司は負けてしまったが)、1時間ぐらい話を聞かされた。

相手は強かった。俺はまだまだだ。でも反省点は見えた。もっと練習がしたい。

…なんて、空手を始めて間もないくせに。よくそんなわかったようにペラペラ喋れるなぁと思ったが、まぁ智司なら許せた。

そして最後には「敦也はやっぱすげえな。」って笑った。


僕はこの試合で優勝した。
優勝したところで母さんに褒めてもらえないんじゃ意味ないなんてずっと思ってたけど、僕なんかよりずっとはしゃいで喜んでる智司を見てると優勝というこの結果が誇らしく思えてきた。

「一回戦敗退の人が1番はしゃいでるね」

「うるせー!」

智司は第一印象よりももっともっと、いい奴だってことがわかった。

結局、「俺には合わない」と言って1年もせずに智司は空手を辞めたが
智司とはいつのまにかなんでも話せる親友になっていた。

智司と学校でもずっと一緒にいるようになってから、クラスの僕への嫌がらせはなくなった。

もしかしたら智司がなんか言ってくれたのかもしれない。
正義感の塊みたいな奴だ。嫌がらせされてる僕に声を掛けるのなら、嫌がらせをしていた側にも何か言うであろう。

智司はいちいち話さないやつだから分かりずらいところもあった。ただ、僕の前で暗くなるような話はしたくなかったんだとも思った。

以前智司は僕にこう言った。

「俺な、本当の友達ってどーでもいいことで笑える関係だと思うんだ。悪口とか、妬みとかさ、この世にはたーっくさんあるけど、そういうのじゃなくて俺は楽しい話を敦也とずっとしてたい。敦也といる時は笑うことしかしたくない」

智司は満面の笑みだった。
智司の考え方は、根が暗い僕には理解できない部分も勿論ある。でも僕だって智司といる時は笑うことしかしたくなかった。その考えには、賛成だった。

僕は、そんな智司のおかげでだんだんと母さんが生きていた頃の僕に戻りつつあった。