母さんは優しい。母さんは美人。母さんは料理上手。近所でも評判の自慢の母さん。
でも、母さんと僕は、血が繋がっていない。

僕が小学4年の時に、父さんは再婚した。それが今の僕の母さん。
僕の本当の母さんは事故で亡くなった。


父さんが今の母さん、”真由さん”を連れて来たときはすごくショックだった。
母さんが亡くなって2年しか経ってないのにもう新しい女に乗り換えたなんて、信じたくもなかった。僕は父さんが心底理解できなかった。

「敦也の新しい母さんだ。挨拶しなさい」

そんなこと言われても本当は挨拶なんてしたくなかった。でも僕は良い子だった。キチンと挨拶をした。僕はどんなに嫌いな相手でも、挨拶だけは欠かさなかった。

僕の本当の母さんは、僕が良い子になるように毎晩魔法をかけてくれていた。

毎晩、僕を寝かしつける時にベッドで
「あっちゃんはとっても良い子。良い子だから沢山幸せになるんだよ。大きくなったらその幸せをいろんな人に分けてあげてね」
って、頭を撫でてくれる。

そうすると不思議と気持ち良く眠ることができたんだ。
だから、僕は母さんが大好きだった。
僕が自分のことを”僕”というのも母さんがそう言ったからだった。

「言葉遣いには気をつけなさい。言葉は大事に使わないといけないの。言葉一つで相手を簡単に傷つけることができるのよ」

母さんはそう言って、僕の言葉遣いに厳しくなった。同級生が汚い言葉遣いを使っていても、自分のことを”僕”という生徒が僕以外にいなくても、僕はそれを辞めなかった。

今思えば、母さんにきつく言われてたのは言葉遣いだけかもしれない。

母さんに褒められるのが嬉しくて、テストも小1から始めた空手も毎日頑張っていたから、注意されることなんてなかった。

帰ってテストの点数や、試合結果を母さんに報告すると、母さんはいつも笑顔で褒めてくれた。いつか空手も勉強も、母さんが褒めてくれるならいくらでも頑張れた。

それが僕の生きがいになった。


それなのにどうして。神様を心の底から恨んだ……

小学校で算数の授業を受けてると、教頭先生が教室に入り「斉藤くん」と、僕の名前を呼んだ。

僕はよくわからないまま教頭先生に連れられ、職員室に入りそこで母さんが死んだと知らせを受けた。

最初は信じられなかった。
これは現実なんだろうか。夢じゃないのだろうか。

嘘だ。嫌だ。信じたくなかった。


けどそれは現実で。
母さんは本当に死んでた。

母さんは、事故だった。
夕飯を買いにスーパーに行く途中、飲酒運転をしていた40代男性の車が歩道まで突っ込んできて、母さんはそれに巻き込まれたらしい。


沢山泣いた。学校も休んだ。
いつもは厳しくてずる休みなんて絶対許してくれない父さんも1週間学校を休んだけど何も言ってこなかった。

けれど、ずっと家にいると母さんの思い出が沢山詰まっていて、辛かった。

もう、全部捨てた方が楽になるのかもしれない。母さんが毎日つけてたオレンジ色のエプロン。母さんが使っていたマグカップ。歯ブラシまでもが全てそのままだった。

なんだか空気が重く、息苦しくなったから窓を開けると、庭の母さんが育てていたコスモスがみんな下を向いていた。

もう、秋も終わったのか。とカレンダーを確認する。

気づかなかった。

母さんが死んでから、もう一ヶ月経っていた。


僕は次の日、学校へ行くことにした。
学校を休んだって母さんは戻ってこない。母さんが生きてたらきっと、ずる休みしてるこんな僕を、嫌いになる。

そう思ったからだ。


僕が教室へ入ると賑やかな教室が一気にシーンとなった。
一ヶ月も学校を休んだんだ。仕方ない。
みんなが何かこそこそ言ってるけど聞こえないふりをした。

”可哀想”とでも言ってるんだろう。
同情なんていらない。

みんな家帰ったら母さんが待ってるんだろう?そんな幸せな奴らに僕の気持ちがわかってたまるか。


席に着くと眼鏡をかけたクラスの山西さんが声を掛けてくれた。

「斎藤くん。おはよう!久しぶりだね。ずっと休んでたから心配していたんだよ。お母さんのこと、大変だったね。休んでた分のノート、先生に頼まれてたから斎藤くんの分も書いておいたよ」

そう言って僕にルーズリーフを渡した。

また、森山先生も余計な事を…。
ノートなんて写して貰わなくても自分で勉強できる。
一ヶ月遅れたくらいどうってことない。すぐに追いつけるのに。

正直その優しさが鬱陶しいけど山西さんは悪くない。それに僕は良い子だ。

「山西さん、どうもありがとう。すごく助かるよ。心配かけてごめんね。僕、もう大丈夫だから」

本当は大丈夫なんかじゃない。でも僕は笑顔でルーズリーフを受け取った。


後ろを振り返るともうクラスはいつもどおり賑やかになっていた。

所詮、僕の母親のことなんてみんなからすれば他人事。
新しい話題が出来ればまたそれでクラスは持ちきりだ。

暫くは可哀想な目で見られるかもしれないが、ちょっとの我慢だ。僕は良い子なのだから。我慢するんだ。