「その住所、テンポラリーだぞ」

「テンポラリー……」

 どこか耳に響く言葉、かつて自分も使ったことを思い出す。

「氷室さん、引越しされるんですか?」

「いつかはそうなるだろうな」

 その言葉の裏に結婚という意味があることをなゆみは感じ取った。

 あのお見合いしたきれいな女性と上手く行っていると想像する。

「それじゃ向こうについたらすぐに絵葉書出します」

 氷室は小さくふっと笑い、もう何も話すことはないと、再び忙しく手を動かし始めた。

 あまりにもつれない氷室の態度に、なゆみはそれ以上その場にいられなくなってしまった。

 お礼は最後の日に言えばいい。

 なゆみは仕方なくお辞儀をしてその場を去った。

 なゆみが側を離れたとき、慌しく動いていた氷室の手元がぱたっと止まり、氷室は暫く動かず目を閉じていた。

 ぐっと何かを必死に堪えているようでもあったが、落ち着いたのかまた忙しく手元が動き出してはキーボードを叩く音が強まった。

 その時、コンピューター画面を見つめる氷室の目は虚ろだった。


 なゆみは去り際に本店をもう一度眺めた。

 初めてここで働いた日。

 最初はやっていけるか不安だった。

 氷室と出会い、色々なことがあった。

 なゆみは氷室をもう一度見つめる。

 がっちりとした氷室の背中を見ていると泣きたくなってきた。

 「ありがとうございました」と小さく呟いて、未練を断ち切るように立ち去った。

 本当にこれで終わり。

 そう思った時、ぐっと体に力が入り、なゆみは背筋を伸ばした。