変な夢を見た。
 内容は覚えてない。
 目覚めたら、見慣れない窓が目に入った。
 賃貸マンションによくある規格サイズの窓とは違う。この窓すごい大きいな…
窓枠がちょっと太めでなんかあまり見たことないような。
 曇りの昼間に電気付けなくてもこの部屋いつも明るいんだろうな。
 あとからよくみると吹き抜けの窓だったんだけど、その時は気づかなかった。
 なかなかしっかり目が覚めない。まだ眠たいのかも…ねぼけたまま、勝手にため息がでる。
 …ついにこんなことまでしちゃったわ…
 ここは私の家ではない。昨日知り合った誰かの部屋。
 だからって、動揺なんかしない。
 昨日は本当に家に戻りたくなかったから。
 無機質な色のシェードから朝の光がもれていて昨日を乗り越えることが出来たことを実感。
 昨日のことも、この部屋にきたこともぜーんぶどうでもなくなってしまえばいいのに。
 指先にあたるスマホのチカチカ眩しいけど、お知らせを見るのがこわかったから、チカチカは無視。わざと見ない。
 何時なんだろう…でも、時間なんて知ってどうする?今日の仕事は休みだし。とりあえずチカチカは無視。
 うーん、そういえば…少し肌寒いかな?
 そういえば私、今、何も着てない。毛布から出た肩が冷たい。着てきた服はどこにやっちゃったんだろう…あともうちょっと覚醒してきたら思い出すかも。
 見慣れない部屋ではだかでベッドの中。背中から感じる人の気配、息遣い。横向きになって寝てる私の背中にはその人の背中があたっていて、すごくむずがゆい。
 骨ばったその人の背中。寝息に合わせて動く背中。意識がはっきりしてくるにつれ昨日の記憶が戻ってくる。
 思わず握りしめた毛布の端っこに鼻をうずめた。
 この香り…やばい。私の好きなムスク系の香り。
 泣いてボロボロフラフラの私をおんぶしてくれたんだよね。その時もシャンプーのいい匂いしてたなあ…



昨日の出来事 AM10:30
 PRRRRRRRRRR
 PRRRRRRRRRR
 ピッ
 「はい、どしたの?」
 電話に出た!
 「仕事中にごめん。今、話せそう?」
 この間抜けな質問が一番嫌い。仕事中に電話する自体、空気の読めない女だと思ってしまう。いつだって今すぐ声が聞きたいから何か言いたいことがあるとすぐに電話したくなる。そんな時の時計の針の進みの遅いことったら、ナイ。と、いうことで言いたいことができてから5分で電話してしまった。
 私ってば本当に我慢のできないダメな女。
「大丈夫だよ。ちょうどいいタイミング」
 彼のやさしさに顔がにやけるのを必死に我慢する私。
「羽田くん、今日はタクシーで行くからいいよ」
 そう、これが言いたかっただけ。
「...大丈夫だよ、お姫様は俺の手で送り届けるから…また後でかけなおすよ」
 羽田くんが慌ただしく電話を切った。もう少し声聞いときたかったな。いやいや、仕事中なのに電話できただけで十分幸せ。
 私、鈴木ともこの彼氏である羽田くんは大手出版社の男性ファッション雑誌のやり手編集長で、出会いは同じ会社に勤めていたから。私のひとめぼれだったのに、告白してきたのは羽田くんからだった。それから3ヶ月も夢のような毎日が続いている。
いつも、お姫様と呼ばれて、送り迎えは当然だし、お洒落なお店に行った後は彼の自宅か私の自宅でお泊り。独身・ゴージャスでセクシーな5つ上の上司が彼氏ってなんて素敵。私だけを見ていてくれているなんて嘘みたい…!
つい一週間前から呼び名が「編集長」からやっと「羽田くん」になった。ベッドの中まで「編集長」と呼ばれるのが嫌だというのが理由。一度「編集長」ってわざと呼んでみたら、睨まれたっけ。
 そして私と編集長はプライベートでは「お姫様」と「羽田くん」に発展。社内恋愛は禁止ではないけど、どうやら羽田くんはオープンな社内恋愛はあまり気が乗らないみたい。だから会社の中では誰も私たちが付き合ってるなんて知らないのだ。

 話はさっきの電話の内容に戻るけど、今日はハロウィンパーティーの送り迎えのことで羽田くんと相談していた。羽田くんの企画…いやいやこれは仕事のイベントだから、羽田編集長の企画って言わないと。香港支社で扱っている女性美容雑誌の美人編集長が今回ハロウィンに合わせて仕事のため一時帰国が決まり、歓迎会という名のミニパーティーを開くことに。
 私は会社からタクシーで20分の会場に妖怪人間ベマの衣装を持って向かう予定。私の係は美人編集長の雑用係。彼女はかなりワガママだから、我慢強くて気の利く君にしか任せられないんだよね。言うとおりにすればいいんだよって羽田くん…じゃなくて、編集長に頼まれてしまった。
 彼の為にもしっかり雑用係をこなそう。いつか、羽田くんと結婚したら私は今度は奥様としてみんなに紹介されるはずなんだから。って、気が早いか。
 
PM18:35
荷物が、かさばる…衣装の入った大きなエコバッグを脇にかかえ、会社から歩いて5分のコーヒーショップの前まで走った。本当は会社を18:00に出ることが出来るはずだったのに、急な打ち合わせで遅くなってしまった。
待ち合わせは18:30、すでに5分遅刻。そういえば羽田くん、今日は1日会社にいなかったなあ…。
 赤いスポーツカーがコーヒーショップの店の前に停車している。見えた途端、足を止めて深呼吸、手櫛で髪型を整えて、服の乱れを直す。それから、何もなかったように小走りで車の助手席側に駆け寄り、窓を軽くノック。
 「お疲れ様」
 羽田くんが優しい声で車の中に導いてくれた。この声を聞くと、仕事の疲れもハロウィンの衣装でワガママ美人編集長の言いなりになるのも耐えられる。羽田くんの笑顔ってほんと素敵…なんでも許せちゃうな。
 「今日は1日会社にいなかったね」
 「その方が会えた時、2倍嬉しいでしょ」
 「...今日はずっと一緒にいられるの?」
 「実はさ、急な仕事入って帰りは迎えに来れないんだよね。香港のワガママ編集長を迎えにいってそっちに送り届けたら、そのまま家に戻って仕事しないといけないんだよ。」
 やんわり断られてしまった。昨日一緒にいたのに、今日も一緒にいたいと思っちゃうんだよね。信号待ちになって、私の頭をゆっくり片手でなでる羽田くん。
 「今日も一緒にいたいと思った?」
 「!?」
 「俺もそう思ってたから」
ちょうど信号が青に。羽田くんの指先が私の頭からハンドルへ戻る。運転中じゃなければ、多分ワタシは抱きついていただろう。
ミニパーティーの会場に着くと私の肩をポンとたたいて、羽田くんが優しく声をかけた。
 「ほら、いっておいで」
もう一言なんかない?今日はこれでお別れなのかな。うなずいてしぶしぶ車を降りる準備をする私。
 「実はさ」
 なぐさめてくれなくていいよ、余計に寂しくなるから。
 「来週末…旅行を計画しててさ。熱海なんだけど…行ってみたくない?」
 「…それって…」
 「そ。初めての旅行。お互いの家っていうのも好きなんだけど、たまには場所を変えてみない?熱海でゆっくり混浴しようよ」
 本当になんていうタイミングで私の一番してほしいことを言うんだろう。
 「スケジュール…みてみる」
 羽田くんはにっこり笑って、それから今度は私の髪をなでた。
 「好きだよ」
 もう、その言葉だけで十分幸せ。この人は多分私のことなんて手のひらでコロコロ転がして遊んでいるに違いない。私の気持ちは羽田くん次第で泣いたり、笑ったり忙しい。
 車が去った後も心の中は羽田くんでいっぱい。

PM19:00
 10分前にミニパーティー会場になるスペインバルの店に到着。フィッティングルームは簡易的なものが準備されていたが、混んでいたのでトイレで着替えることに。ベマの衣装、ちょっと胸元開きすぎじゃない?羽田くんどう思うかな。
 店内にはミニパーティーに参加する社員全員が揃っていた。みんなおのおの衣装に着替えてくつろいでいる。私はカウンターテーブルの椅子に座って、迎えに行った羽田くんに連絡をとろうとスマホをバッグから取り出した。
 「鈴木さん、その恰好似合ってるじゃない」
 この背中にねっとりはりついてくるようなダミ声。いつも正面からじゃなく、背中から声をかけられることが多いように思う。振り向くと仮装なしのスーツ姿の西田さんが立っていた。西田さんは多分40代で会社のお局様的存在。猫がとても好きで、身に着けている猫グッズ多数。今も、左手に猫のイラストのメモ、右手に猫の頭がついたシャーペンを持ってのっそり立っている。
 「西田さん…今から着替えるんですか?」
 西田さんは鼻をならして、私の衣装を軽く意地悪そうに眺めた。
 「私そんな恥ずかしいことしない主義なの」
 猫の衣装着ないんですか?と、聞き返したくなる。本当に腹が立つのよね。西田さんのような40代にはならないわ!
 西田さんは私に近寄り少し小声でつぶやいた。
 「美人編集長の話...聞いた?」
 西田さんの噂話が好きなのは今に始まったことではないが、なぜそこまで詳しいのか私には不気味で仕方ない時がある。
 「…な、なんですか?」
 「今日、重大な発表があるらしいのよ。それに羽田さんも関わっているらしいのよね、何か知らない?」
 「いや...何も知らないんです。私に聞かれても...」
 「...あら、あなた、編集長の彼女なんじゃないの?」
 「!!」
 私の顔色が一瞬変わるのを見逃さなかった西田さんはやっぱりね。と、鼻で笑う。
 「さっきも車で送ってもらっているところ見ちゃったのよね」
 「...」
 「まあ、いいわ。あなたも知らない美人編集長の発表ってなんなのかしらね」
 真っ先に頭に浮かんだのは、羽田くんが香港に行くことになるんじゃないかってこと。美人編集長の権限で羽田くんにちょっかい出すつもりなんじゃ...!でも、そんな大事な話なら、私に先に言ってくれるはずなのよね。
 西田さんは、さっさと私の席から離れて店の入り口付近にいた新入社員の男の子に話しかけている。嫌な話を言うだけ言っといて、ほんとに嫌なおばさん...!!!!なんだか心配になってくるじゃない。
 突然、店の入り口付近からどよめきが聞こえる。バルの背の高い扉が大きく開いて、誰かが入ってきた。私は美人編集長に会ったことはないけれど、この人だってすぐにわかった。
白いドレープのきいたブラウスにタイトな黒のロングスカート。スリットからのぞく艶めく脚がセクシーだった。
 「すごい小顔ね…」
 いつの間にか私の横にいた西田さんがつぶやく。息をのむほど美人だった。しなやかで上品、整った鼻筋に吸い込まれるような黒い瞳で、あいさつする一人一人の社員に軽く会釈しながら、こちらへ進んできた。
 羽田くんが少し慌てて彼女をエスコートしている。少し、動揺してる…?どうしたんだろう。
 家に帰って仕事するはずじゃなかったのかな。あっ、そうか。私、雑用係だった。
 雑用係なんだから、あの二人に近づいて話しかけてもおかしくないよね。美人編集長には緊張しちゃうけれど立派に勤めあげて、羽田くんの期待に応えよう。私は深呼吸をして、2人に近寄った。
 「羽田…編集長。何か飲み物を持ってきましょうか?」
 美人編集長がこちらを見て、羽田くんに目線を移した。羽田くんは少し困惑していた。私とも目をあわせない。
 「あ…、こちらは鈴木ともこさん。彼女はうちの中で…まあ、優秀な子なんだよ」
 美人編集長は笑顔で私に軽く会釈した。
 「林です。今日はこんなに素敵なパーティーを開いてくれてありがとう。飲み物頼んでいいかしら」
 「鈴木さん、雑用係はやらなくていいから、今日は楽しんで!」
 突然の羽田くんの言葉に、驚いた私は思わず困惑の目を羽田くんに向けた。
 「鈴木さん、悪いね。今日は僕が彼女をエスコートするよ」
 困惑している私を無視して、羽田くんは林編集長を連れて私から離れていった。