現在乳児と家にこもりきりの私には家族のほかにちゃんとした会話をする相手もなく、ただひたすらに悶々と過ごす羽目になった。こういう時、普段は大変だと判っている勤めに出るということに、強烈な憧れを抱くものなのだなあ!と思う。全然関係ない人と仕事やその他の話をするということ、それは案外毎日を普通に過ごす為の円滑油になっているものだ。

 出るのは重いため息ばかり。娘と向き合っている時だけが、話せない夫のことを忘れられる時間だった。

 それはそれは息のつまる初夏で、私は玄関前の鉢植達に水をやりながら情けなさから涙ぐんだりしていたのだ。

 大切なサルビアも苺も黄色のヒヤシンスも。キラキラと光を弾いて笑っているように見えていたそれらも、何だかくすんで見える。・・・ああ、皆、ごめんねって。


 そんなわけで、私はこれではいけないと拳を握り、先に出した案を決行すべく立ち上がったわけなのだ。主に桜の昼寝タイムをついては友人知人に電話しまくった。初夏にかけて、ひたすらそうやって情報収集に努めた結果──────────

「ああ、どこも一度はそんなのになるのよ。それでもダンナが性欲を抑えきれずに襲ってくるから、その時だけ両目瞑って呪文唱えて股だけ開いて相手してやりゃあいいのよ!」

 と笑う友人Aを代表とする、相手に欲しがられたときだけ相手にせよ派と、

「いや~・・・だってほら、嫌なものは嫌だから、私だってあっちいけ!って叫んだわよ。仕方ないでしょ、それどころじゃないんだっつーのよ女性はさ」

 と豪快に笑う友人Bを代表とする、自分にはあくまでも正直でいよう派と、

「しばらく逃げてれば、母乳が終わる頃には生理も始まってこっちもエッチしたくなるから大丈夫よ」

 と優しく慰めてくれる友人Cを代表とする、焦らずにその時を待とう派がいることが判った。