「大丈夫だよ」

それが彼の口癖だった。


いつだって彼は私のすべてを受け止め、包み込んでくれる。そうして私は、そんな彼の温もりに甘え、溺れた。


彼の部屋の片隅でふたり、肩を寄せる。

部屋を占める多くの本たちに囲まれて。


彼は本が好きだった。見る度に埋まっていく本棚にある本の結末は、すべてハッピーエンドで終わるものばかりだ。バッドエンドなんて、きっとひとつもない。

彼はバッドエンドが嫌いだったから。

読む前、必ず彼は初めに終わりのページを開く。そして、結末を知ってから、彼は初めの1ページから読み始める。


『結末を先に知るなんて、つまらない』そう言った私に、彼は『そうだね』と困ったように微笑んで、"でも"と言葉を続けた。

『結末を知ったからこそ、安心して読み始められるんだ』と伏せ目がちに言った彼を、今でも鮮明に覚えている。


外の世界に私はいつも怯えていた。それでも、必然的に外の世界へ行かなければ、生きていけないことも知っている。だからこそ、ここは、ハッピーエンドに包まれたこの空間だけは、私と彼の唯一の居場所なのだ。



この世界に私は向いていないと思っていた。けれど、きっと彼はその何倍も、この世界には向いていなかったのかもしれない。


ある雨の日。

彼は私を残して、呆気なく逝ってしまった。


車での事故だった。雨で視界の悪いなか起こってしまった不慮の事故だと。けれど本当にそれが事故だったのかと、どこかで疑っている自分がいた。



私は知っていたから。


私を包み込む彼の手首にあるものも。
時折、見せる彼の弱さも。


ある時、一度だけ聞いた

「...死にたいって思う?」

そんな私の言葉に、彼はただ静かに笑った。肯定も否定の言葉も溢さずに。ただただ優しく笑っている彼を。



けれど私は、ほんとうの彼に気付かぬ振りをして、彼は強い人だとと思い聞かせていた。

弱音を吐くのは私であって、彼じゃない。護られるのは私であって、彼じゃない。優しさに包まれるのは私であって、彼じゃない。

私はきっとそんな馬鹿なことを思っていた。


そうして、彼を殺したのは彼自身なんかじゃなくて、本当に彼を殺してしまったのは、私なのかもしれない。



ハッピーエンドに包まれた部屋の片隅に、栞の挟まった一冊の本が残されていた。


それは、彼が最後に手にしていた本。

もう二度と彼によって、読み進められることのない本。もう二度と動くことのない栞を見て、涙が溢れた。

この本の結末は、ハッピーエンドなのだろうか。



『大丈夫だよ』

そう言って、彼を強く抱き締めていたら、私と彼の結末も変わっていただろうか。


バッドエンドか、ハッピーエンドか、

もう彼の居ない私には、それすらもわからない。




*end*