きみを見ていた

「よし、一人ずつ前に来い。
瀬戸、まずおまえからだ」

翌放課後の音楽室。

「山田、明日の部活は運動着でトレーニングウェアで参加しろ」

昨晩、真里菜とラインした後、ショートメールに飛び込んできたメッセージ。

見覚えのない電話番号。
しかし、こういってくるのは磐座先生以外ない。

「な、、なにがはじまるんだ??」

そして、運動着姿で音楽室に集合した幽霊部員を含め全4人のコーラス部員たちは体育座りをして磐座先生の号令に従っている。
先日見た15-6人は、全員がコーラス部ではなく、私と同じく補習を受ける生徒を含めていたようだ。

「はい」

コーラス部 部長の瀬戸先輩。
綺麗なテナーの声の持ち主。
男性の高音はとても貴重だ。
先輩にあこがれコーラス部志願者が後を絶たない・・と言いたいところ。
だが実際は、コーラス部は我が校ではマイナーな音楽系部活であり、しかも発足したばかりでなんの実績もない。
いくら素敵な瀬戸先輩をもっても、とても影の薄い部であることは認めざるを得ないのだ。


「あ、ちょっと待った」

磐座先生はハンディカムを取り出し瀬戸先輩にレンズを向けてセットした。

「え?先生」

「これからは一か月に一度、こうして練習時の記録を撮る。
正しい発声練習をすることで、体の使い方をすることでどのように自分の声が変わって行くのかを知るためだ。

声楽は自分の体が楽器だ。
それが故に、自分で感じる自分の声と、自分以外に向けて発せられる声にギャップが生まれる。
録音した自分の声に驚いたことってないか?」

「ありますあります!
家の電話に録音した自分の声聞いて“変なの!”って思いました」

部員の一人が言った。

「そう、自分の声は体の内側で聞こえてる声。
録音されたその声は相手に聞こえてる“自分の声”。
発声で重要なのは、ひとりよがりではなく自分の声が外側の世界にどう聞こえてるか、どう響いてるかを的確に知ることだ」

「さぁ、まず君の声を教えてくれ。

ハミング・・・」


ドシドミド・・・低音から半音ずつ上がって行く。


同じ音階で次は“ア”と言いながら・・・

瀬戸先輩は呼吸を整えながら発声練習をした。

すると磐座先生のピアノはそのまま
歌劇『トスカ』より、テナーの名曲『星は光りぬ』へと変わり、瀬戸先輩はその伴奏に合わせて歌い始めた。


星は輝き、大地は芳しく
菜園の扉が軋み、
砂土に軽く触れるような足音がして
彼女が芳香を纏って入ってくる

ああ、あの甘いキス、誘うような抱擁
震えながらヴェールをとり、彼女の姿を露にした!
僕の愛の夢は永遠に無に帰した。
時は過ぎ、
絶望の中に僕は死ぬ、絶望の中に僕は死ぬ。
今ほど命を恋しく思うことはなかった!


瀬戸先輩、すごい。
時おり息継ぎが間に合わなかったり声が出なかったりしたけれど何とか歌いきった。
歌曲一曲を、高校生が歌いきるのはとても難しいことだ。
しかも、音楽付属高校でもない学校でほぼ独学で声楽を学ぶ中、ここまで歌えるのは本当にすごいと思う。

「うん・・もう一度ハミングしてみて・・・
もう少し喉開いて・・両足に力入れて・・横隔膜意識して・・
高音では、さらに体を楽にして鼻孔を開いて・・そう!」

もう一度、『星は光りぬ』の伴奏に合わせて瀬戸先輩は歌った。
すると、先ほどはまったくでなかった高音がいともスムーズに出るではないか!

「わぁ、先生!」

「まだまだ序の口だ。
明日からまだまだレッスンは続くぞ。
覚悟しろよ」


「はい!」

「先生!私もお願いします!」
「私も」「私も!!」


「ハハ、わかってるよ。
さぁ、一人ずつ前へ!」


さすが欧米で活躍してきたマエストロだけのことはある。
欧米か!・・・
心の中で一人でツッコんでみた。
何やってんだ?私。
「クスッ」
ちょっと、ウケた。

「おい、なに笑ってんだ?」

ゲッ!いつの間に目の前に!

「失礼なヤツだ!山田、前に来い!」

ゲゲ--ッ!私もやるの???