私、水崎純梨は、これと言って得意な科目がある訳でもなく、成績も平均的、外見も平均的、恋愛対象になる男性も特に今まで片想いのまま終えてしまう程度の高校二年生です。
 科目でいえば絵心がなく、クラスメイトから『画伯』と茶化されてしまう私には、この、今受けている美術の授業が嫌いで仕方ありません。
 けれど。
 美術の眠傘楓凛先生は好き。
 カチッとしたスーツ姿に、サラサラした髪の毛。シルバーのメタルフレームの奥には色素の薄い綺麗で優しい瞳を持ち、物腰も柔らかく、イケメンのカテゴリーに入っていると私は思っています。
 ただ、そのカテゴリーの中で見ればそんなにランクが高いわけではなく、例えば、体育の松岡先生、例えば、現国の大石先生あたりは、相当ランクが高いらしく、ファンクラブのようなものまであるのですが、眠傘先生に関しては、クラスメイトからも好きだという話を聞いたことも無ければファンクラブのようなものがある訳でもなく、むしろ、身なりは良いがこれと言って浮いた話を聞かないのです。
 つまり、彼はターゲットにされる率が低いのです。
 そんな眠傘先生の声を聞きながら、目の前に置かれてある林檎を鉛筆で描くだけの授業。
 真っ赤に熟れて美味しそうな林檎より、私には眠傘先生の声の方が好き。
 けれど、美術の授業は嫌い。
 美術室からは小さな雑談と鉛筆が掠れて走る音が交ざり、時折、開いた窓からの風にカーテンがふわりと揺れる程度の静けさ。
 それを引き裂くように授業終了のチャイムが鳴りました。
 私はクラスメイトから『画伯』と茶化されるのが嫌で、チャイムと同時にキャンバスを裏向きに机の上に伏せましたが、眠傘先生が、そのキャンバスを取り上げ、眺めています。
 やがて、眠傘先生は小さく溜息を零します。
 やはりと私は落胆を覚えました。
 クラスメイトから『画伯』と茶化されてしまう私の絵など、美術を教える先生から見たら酷いものなのでしょう。
「柔らかなタッチで、水崎さんの人物像と、林檎の熟れた甘さが伝わりますね。とても良い絵です」
 眠傘先生の意外な言葉に驚く私に、彼はこう続けました。
 『もし、良かったら、美術部に入りませんか?』と。
 穏和なその声音と、意外な話に言葉を失った私は、その後の授業の中身を殆ど覚えられないほど惚けてしまいました。