それからの佐々木は本当に、代わってやりたくなってしまうほど、早いペースで衰弱していった。
 いつの間にか身体にはコードが沢山付けられて、そんでもって、あんなに可愛かった痩せっぽちは、本当に可哀想な痩せっぽちに変わってしまっていた。
 精一杯、生きようとしているんだな、って思った。
 ちっちゃな身体を精一杯動かして、一生懸命呼吸していた。
 病室に入ってきた俺を見つけると、今までのにこにこ笑顔じゃなくて、弱々しい微笑みで、俺を凝視めてきた。
「…ほら、やっぱり、夢って…かなわない、だろ?」
 呼吸を必死に繰り返しながら、必死に言葉を紡ぎ出しているのが良く分かる。
 消え入ってしまいそうなか細い声は、今でもやっぱり可愛らしいと思った。
「んなことねえよ」
 俺は佐々木の言葉を否定した。
「だって、オレ、もうすぐ、死んじゃう…もん。オレには、分かるん、だ」
 俺は苛立っていた。
 こんな話をしたくて毎日見舞いに来てるわけじゃねぇんだよ、佐々木も、神様も頼むから空気読んでくれよ。
「んなことねえよ」
 佐々木が指を一生懸命動かして、腕を一生懸命持ち上げて、俺の頬にゆっくり触れた。
 俺の心臓がバクバクいってる。こんな元気な心音、コイツに聴かせられねぇだろ、収まってくれ。
「オレを、抱くのが…未遂で、良かった、な」
「んなことねえよ」
 俺は…どうしてこんな時にもっと佐々木が欲しいだろう言葉が生み出せないんだろうな。
「だって、きっと…後悔、するよ」
「んなことねえよ」
 それだけじゃ…ダメなんだよ。んなことねえよ。だけじゃ、ダメなんだよ…。
 もっと、佐々木が欲しい言葉…必要としている言葉…。
 チクショウ、心音に邪魔されて頭が働かねぇ。止まれよ俺の心臓!
 そうだよ、佐々木のために俺のこのバクバク言ってやがる心臓が止まるんだったら、俺は神様と契約してやる。
「でも…俺の、こと…忘れ、ないで…」
「頼むよ、治ってくれよ」
 違うんだ。そうじゃない。治らないって言うのは何度も言われてるし聞かされてる。
 だけど、治ってほしいんだよ、また元気になってほしいんだよ…!
 佐々木は静かに首を横に動かした。
「だから、治ら、ないん…だってば。何度も、言わせん、なって」
 段々声が小さくなってきた。
 最初からか細くて、消え入りそうな声は後ちょっとで、身体に繋がっている機械の音に本当に、掻き消されてしまいそうになっていた。
 それでも、俺にはこの声が本当に可愛らしいって思えた。
 俺は病室に入ってきた医者に、どうにかしてコイツを東京に連れて行けないか聞いてみたけど、望む答えは返ってこなかった。
 北海道はでっ……。
 俺はその言葉が心の中でも叫べなかった。
「なあ、俺の、こと…佐々木、じゃなくて、誠、って、呼んで…くれない、かな?」
 本当にちっちゃな声で佐々木がそう言った。
「ああ、呼んでやるよ、いくらでも。だから元気になってくれよ」
 佐々木は俺の言葉を聞くと、本当に嬉しかったらしくて、久しぶりにあの、可愛らしいにこにこ笑顔を俺に見せてくれた。
 佐々木の最後のにこにこ笑顔を見ることが出来たのは俺だけだった。
 その次の日、俺はやっぱり佐々木の見舞いに行った。
 その日はなんだかいつもと違う空気が流れていた。
 なんだかピリピリしていて、医者も看護師も、佐々木に付きっ切りで、おばさんどころかおじさんまでその場にいた。
 佐々木の本当に痩せっぽちで、可愛かった身体に付けられていたコードの数々が、いつの間にか取り外されていた。
 ベッドで佐々木に寄り沿うようにしていたあのしゃべるぬいぐるみも、いつの間にかいなくなっていた。
 俺は佐々木のためにあのぬいぐるみ買ってやりたくて、おもちゃ屋に行ったけど、俺が知っているやつは何処にも見つからなくて、代わりに同じ名前のちっこいやつを購入して、病院に来ていた。
「わかるか?俺が買ってきたんだ。貰ってくれるだろ?」
 俺が佐々木に顔を近づけて話しかけると、佐々木はどうやら笑顔を作ったらしい。とっても可愛いんだけど、ちょっと微妙な顔をして、頷いてくれた。
 佐々木は小さく俺に一言だけ「顔、もっと近づけて」って言った。
 俺はもっと顔を近づけた。
 佐々木が、俺の唇に本当に一瞬だけだったけど、キスをした。
 恥ずかしさのあまり俺は病室から出て廊下に立ったけど、開けっ放しのドアから病室の佐々木をなんだか不思議な気持ちで凝視めていた。
 ああ、疲れちまったんだな。眠ってら。
 突然、おばさんが叫んだ。叫びながら崩れた。
 おじさんが目頭を押さえながら病室から走って出て行った。
 俺はとてつもない不安に駆られ、病室に飛び込んだ。
 医者が佐々木の脈を測って、時計に目をやった。んでもって、隣のちょっと美人な看護師に時間を伝えたのが分かった。
 可愛いかった痩せっぽちは、本当に呆気なく、ミイラみたいな痩せっぽちになっていて、その胸は動かなくなっていた。
 俺は北海道に住んでいて、佐々木もやっぱり北海道に住んでいた。
 俺はやっぱり北海道はでっかいどー。って心の中で叫んでいた。
 その時、佐々木の可愛らしい声が聞こえた気がした。
「ありがとう」って、とっても穏やかで、とっても柔らかかった。
 ちっこくて、サラサラでふわふわの髪の毛で、風が吹いたら飛んでいってしまいそうな痩せっぽちだった佐々木は、小さな棺の中で、とっても穏やかに眠っていた。んでもって、佐々木の周りには沢山のあのぬいぐるみが居て、佐々木は俺があげたやつを、とっても大事そうに抱きしめていた。
 棺に横たわっている佐々木の顔は穏やかで、生前に見た、あのミイラみたいな、こけちまった頬も心なしかふっくらしていて、本当に、そこに眠っているだけのように見えた。詰め物しているからミイラみたいに見えないだけなのかもしれないけれど、俺が可愛いなと、安らかだなと思うには十分だった。
 式を終えて、家に帰ろうとしていた時、おばさんに呼び止められた。
 おばさんはピンクのちょっと変わったあのぬいぐるみを抱えていた。
 俺はおばさんと少しだけ話をした。
 佐々木の希望で動けなくなる直前まで、学校に通わせてもらっていたこと。佐々木が持っていた、ベッドの周りにひしめいていたアイツらはみんな、ヒロヒデという名前だったってこと。おばさんに佐々木が最期にねだったやつを佐々木は最期まで離さなかったこと。
そいつの名前は唯一、マコトって名づけられていたこと。おばさんに「俺が死んじゃったら、マコトを木村に託して」って頼んでいたこと。
 小児科で入退院を繰り返していた佐々木が病棟で見てきた可愛いぬいぐるみや壁紙がお気に入りで、自分の部屋もそういう装いにしたくて、何度もおねだりしてあのぬいぐるみや、壁紙、カーテンをそろえたこと。
 そうだよな、小児科病棟って、ちょっと可愛いもんな。
 言われてみりゃ、佐々木の部屋は小児科病棟みたいだって思った。
 北海道はでっかいどー。俺の心もでっかいどー。
 俺はピンクのマコトを受け取って、力強く抱きしめた。
 その時、「好きになっちゃった」と何処かとぼけた、本当に可愛らしい無邪気な声でピンクのマコトが喋った。
 その声がどこか佐々木に似ている気がして、アイツに告白されたみたいで、嬉しくて、悲しくて、俺は泣いた。
 俺は最期の最期まで佐々木を誠って呼ぶことが出来なかった。
 家に帰ると、目の周りを真っ赤にさせて、へんてこりんなピンクのぬいぐるみを抱きしめていた俺を見たお袋が小さく笑った。
 んでもって、俺を何年かぶりに抱きしめた。
 小さな声で、俺が幼稚園の帰り道でじーっと見ていた救急車は、佐々木の家の前に止まっていた事を教えてくれた。
 あの時、ちっこかった俺よりもっと小さい子が運ばれていく姿を見ていたんだ。
 あの子、大丈夫だといいなって、ちっこい俺は思っていた。
 …そうか…。結構おっきくなれたんじゃん。
 俺はお袋に生まれて初めて、おねだりなるものをした。 十一月になって久しぶりにやってきた東京の空気は相変わらずまずかった。
 俺はピンクのマコトを抱えながら、佐々木が行きたがっていたイベント会場に来ていた。
 予想以上に沢山の人があのぬいぐるみを抱えて、写真を撮って、談笑しているのを、俺はアイツの遺影とピンクのマコトを抱きしめながら凝視めていた。
 おっきなホールに入ると、イベントが始まった。
 俺の背丈よりちょっとちっこいぬいぐるみの姿をしたゆるキャラが可愛らしく踊っている。
 その可愛い姿を遺影だけどアイツにもちゃんと見せた。んでもって、俺は泣いていた。
 東京から北海道に戻ってすぐに、俺は部屋の壁紙を、飛行機と車と新幹線模様の可愛いものに替え、カーテンと寝具も子供向けの、佐々木が使っていたものと極力似ているものに変えた。
 親父もお袋も妹も爆笑していた。俺も自分の部屋に爆笑した。んでもって、笑いながら、俺は泣いた。