病院で女の子が着るような茶色いカーディガンを脱がされて、ネクタイも外されて、かなり楽な格好になった佐々木の腕に点滴が施されようとしている。
 捲られた長袖の中にあったのは、あまりの細さにぞっとしてしまうような、本当に細っこい腕だった。
 血管が細いらしく、何度も針を打たれて、結局、手の甲だけで三度目の正直ってな具合で点滴の針が刺さって、佐々木の体内に点滴の中身が注がれていくのを俺は神妙な気持ちで凝視めていた。
 不意に医者の声が聞こえた。
 佐々木が血液の病気を患っていたと、生まれて初めて知った。
 コイツの身体がちっちゃくで、痩せっぽちで、弱っちいのも、これが原因だって分かった。
 俺は悲しみに打ちひしがれた。
 相変わらず真っ青で、紫色の唇のまま、眠っている佐々木を祈るような気持ちで凝視めた。
 血液の病気って、何の冗談だよ。
 俺は確実に苛立っていた。
 佐々木がうっすらと目を開けた。
 病院に担ぎ込まれたと、一瞬で理解したらしい佐々木は俺を見とめると、小さく、哀しそうに微笑んで、やっぱり穏やかに「ごめんね」って言った。
 医者に佐々木がこのまま入院するように言われているのを、俺は恨めしく凝視めていた。
「佐々木…血液の病気って…治るんだよな?」
 堪らずに俺は聞いてしまった。
 もしかしたら告知されていないのかもしれないのに。
「ああ、バレちゃったんだ。黙っててごめんね」
「どうして…」
 俺は本当にどうして良いか分からなかった。
「…生まれつきじゃないんだコレ。発症したのは幼稚園の頃かな…その時にはもう手遅れで施しようがないって言われて」
 佐々木が、自分のことではないような口調で告白した。
「でも、今まで生きてこられて、あのぬいぐるみとも出会えて…木村とも出会えたし。奇跡だって言われているし…。だからもう満足しているんだ」
 佐々木のおっきな瞳から涙がこぼれて、サラサラでふわふわの髪の毛と枕を濡らした。
「…やっぱ夢って、叶わないもんだねえ」
 溜息混じりに、まるでどうって事のないような口調で佐々木が言ったから、俺は今までに感じたことが無いほどの苛立ちを覚えた。
「…俺が、叶えてやるよ」
 北海道はでっかいどー。俺の心もでっかいどー。
 俺は、佐々木のために、北海道みたいなでっかい心を持つんだ。
 これからも、この先も、ずっと、佐々木のために。
「オレさ、あのぬいぐるみが本当に大好きなんだ。んで、アイツらのイベントに行って見たかったんだよね。でも、夢で終わっちゃうのかな」
「俺が連れてってやるよ」
 暫く沈黙した。
「無理だよ。何処でやってると思ってんだよ。東京だよ、東京。行ける訳が無い」
「俺が連れてってやるよ。東京だろうと、地球の裏側だろうと、宇宙の果てだろうと、何処だって!お前が望む場所全部、ちゃんと連れて行く」
 佐々木が小さく首を振った。
 俺の目に涙が浮かんでんだな…ゆらゆら揺れて動いて見える。
「…無理だよ。オレ、そんな体力無いもん」
「何言ってんだよ、東京なら中学の修学旅行で行っただろ?忘れちまったのかよ!」
 俺は叫んだ。
 溢れるくらい有り余ってる未来が、コイツにないとか…俺は信じたくない。
 しかも、その未来がないとかいう佐々木が行きたい場所っていうものを持っていて、でも、そこまで行けないんだなんて、他人事みたいに言っている事が俺には受け入れがたくて、苦しくて、辛い。
 だけど、本当に苦しくて辛いのは、俺じゃない。
 俺じゃ…ないんだ…。
 神様、どうして佐々木にこんな事したんだよ。俺はアンタに何度も祈っただろう?
「オレ、行ってないよ?学校のそういうイベント、一切参加してなかったの、知らなかった?」
 佐々木が本当に穏やかに言った。
「長距離の電車や、飛行機に乗るなんて体力、オレにはもう無いんだよ」
「だけどっ…俺が絶対に連れて行く…っ!」
 佐々木が静かに目を閉じた。
「ありがとう。気持ちだけでも嬉しいよ」
「…なあ、そのイベントって東京の何処でやってんだよ」
 俺の声は涙声になっていた。
「制作した会社で、十一月にやってるんだって」
「じゃあ、十一月までに病気治しちまえよ!俺、ちゃんと連れてってやるからさ!約束するから!お前も約束してくれよ!」
 俺は本当に叫んでいた。
 行きたい場所に行けないなんて…そんなのアリかよ、神様。
「無理なんだよ…でも、ありがとう。気持ちだけでも、本当に嬉しいよ、木村」
 佐々木の母親が病院についた。
 おばさんは大急ぎでここに来たらしくて、あの喋るぬいぐるみを何体かもっていて、それを見た佐々木が本当に嬉しそうにしている姿が、本当に哀しかった。
 そんでもって、二人の会話している姿を見ながら、俺は佐々木の心に入り込む隙なんか無いんだ、ってことを感じていた。
 俺はそこに一人、ぽつーんって残された気分になって、小さな声で、佐々木に別れを告げて、病室を出て行った。
 佐々木のために、北海道みたいにでっかい心を持つんだって決めて、佐々木の事なら何でも知ってると思っていた。
 だけどホントはそんなでっかい心なんか持っちゃいないし、佐々木の事だって、うわべっつらしか知らなかった自分が悔しい。悔しくてたまらなかった。
 もうすぐ…夏が終わる。
 馬鹿かと思うくらいに暑い夏が…終わっちまう。
 ヒグラシが、佐々木の命も終わるんだぜって鳴いてるように聞こえる。
 やめろよ、何ばかなこと考えてんだよ…。