「やれやれ、めんどくせーな」

 溜め息をつきながら、青年が僕のわきを過ぎていく。
 彼女と並んで、僕の前に立った。

「シロ」

「はいはい」

 何時の間にか、僕のとなりに来ていた少年。彼が、彼女の振り向かないままの言葉に答える。

「彼を、お願い」

「りょーかい」

 場違いに、陽気に返事を返す少年。

「で?」

 青年が、彼女に声をかける。

「また、いつもの通りか?」

「ええ」

 その小さな背中が頷く。

「わたしが、理解するまでは手を出さないで」

「ったく、毎度ながらめんどくせーな。力押しで、片付けちまえばいいのにさ」

「主義じゃないの」

「はいはい、仰せのままに。主殿」

 僕には飲み込めない会話を交わすふたり。状況は、僕を置き去りにして進んでいく。

「あなた……何?」

 真っ赤な瞳の少女が、今ようやく気付いたとばかりに彼女に意識を向けた。ぞっとするような、氷の声だった。

「わたしは、彼を迎えに来たの。邪魔をしないでもらえるかしら?」

「悪いけれど」

 彼女は、悠然と踏み出しながら、

「――邪魔をするわ」

 静かな声で、そう宣言した。
 

 その時、彼女の小さなはずの背中がとても大きく見えた。
 彼女は、僕を護ろうとしているんだって。
 それだけは、わかってしまった。
 

 ふたりの少女が、対峙する。
 赤い瞳の少女の手に、何かが現れた。
 まるで手品師か何かみたいに、両手の間をばらばらと浮遊する何枚ものカード。

「刻まれなさい!」

 少女が叫んで、手をかざす。
 四方八方から、カードが彼女――死姫に襲いかかる。

「…………」

 死姫はただ、立ち尽くすだけ。彼女を包み込むカードが、鋭い刃みたいに切り刻んでいく。
 当然のように、けれども、彼女の存在を思えば意外に思ったほうがいいのか。
 彼女の手足を切り裂いて、赤いものが飛び散った。
 ひとしきり彼女のまわりを渦巻いて、カードは少女の手元に戻っていく。その帰り際、カードの絵柄がふと視界をよぎった。スペードのエース。それは、トランプだった。

「何のつもり?」

 五十三枚の刃を手に、少女が口を開く。
 僕も、同じ気持ちだった。
 どうして、死姫はそのカードの渦をよけようともしなかったのだろうか。
 まるで、わざわざ攻撃を受けたようにも見えた。
 裂かれたセーラー服と、身体の傷が立ちどころに消えていく。
 飛び散った血も、霞みの如くかき消えてしまっていた。

「…………」

 少女の問いには答えず、たたずむ死姫。
 少女は鼻を鳴らして、今一度トランプを放つ。
 また、同じ。
 トランプは死姫を切り裂いて、持ち主の元に戻る。
 受けた傷も、またすぐに消える。
 切り裂いて、戻る。
 傷は、癒えていく。
 
 
 そんなことを二度、三度と繰り返した。


「あなた、何がしたいわけ?」

 何をするでもなく、死姫はただ攻撃を受けるだけ。少女の声に、苛立ちが浮かんだ。

「どうして……!」

 たまらずに、僕も声を上げていた。傍らの少年……シロと、目の前に立つ青年に呼びかける。

「ねえ……あの子、このままじゃやられちゃうんじゃないのか? どうして、黙って見ているんだよ!」

 傷らしい傷はなくても……すぐに癒えてしまうから。
 僕には、少しずつでも彼女が弱っていくように見えた。だから、そんな彼女を前に何もしようとしないふたりに声を荒げてしまう。

「ああ?」

 青年が振り返る。
 彼は僕をまじまじと見てから、意地悪く笑った。

「だったら、おまえがどうにかしたらどうだよ?」

「……!」

「主殿がかわいそうだと思うならな」

「…………」 

 僕は、うなだれる。
 ふん、と鼻を鳴らす声が耳に届いた。視界の脇に入ったシロは、にこにこと笑うだけ。僕は、ぎりっと歯を噛んだ。
 そうして。
 また、彼女が攻撃を放つ気配を感じる。
 放たれたカードが、死姫に向かう。また、彼女を切り裂く。

 その傷はすぐになくなっても、きっと痛いはずだ。あれだけ切られて、何ともないはずがないじゃないか。
 それは、僕のせいなのか?
 僕が、呼んだから? 死姫と赤い瞳の少女。どちらを呼んだのか。状況すらも、よくわからない。
 でも、死姫がそんな目にあっているのは、少なくとも僕に責任があるように思えてならなかった。僕のせいだと思えてしまった。

(僕の、せいなのか?)

 僕が、悪いのか?
 僕の、せいで。
 僕が、彼女を今苦しめているのだろうか。

「く……」

 僕は、咄嗟に飛び出してしまった。

「そ、おおおっ!」

 ふたりが息を飲むけれど、そんなものは耳に遠い。僕は両腕を交差させて、それを盾みたいにして飛び込んでいく。

「え?」

 驚きの声を漏らす死姫。どこかきょとんとした顔が、不思議なほど印象的だった。
 構わず、僕は突っ込んでいく。
 自分でも、よくわからなかった。怖くなかったわけじゃない。
 怖くて、足がすくんで、今にもへたり込んでしまいそうで――それでも、どうしてか、そのままではいたくなかったんだ!