それから一カ月。血の滲むような努力の結果、景子は第一志望の大学に合格した。


「先生!合格しました!」


 三月中旬にしてはまだコートの手放せない季節の中、息を切らしながら景子は塾の中で高柳の元へ駆け寄っていく。


「おめでとう!これで大学生かー」


 感慨深い表情で高柳は、景子の顔を見た。


自分の担当した生徒が受験に成功したとなれば、高柳も嬉しいのだろう。


受験前には見た事のないような表情を、彼はしていた。


「先生と一緒の大学生ですよ」


もしかしたらメールアドレスを聞くチャンスがあるかもしれないといった気持ちを抱えながら、喜々とした表情で景子は言う。大学生になれば高柳と対等の立場になれるのだ。


「そうだな。なんか変な感じするな。生徒が同じ大学生になると」


生徒という言葉の中に一線を引かれているような気がして、景子の気持は一瞬にして減速していく。

やはり高柳の中では、景子は生徒のままなのだろうか。

対等にはなれないのだろうか。


そうこう話をしているうちに、高柳の持っている生徒の授業が始まってしまい、彼は慌てて生徒の元へ向かって行ってしまった。

あーあ、行っちゃった。心の中で呟き、彼の動きを目で追う。


「緑山さん、合格おめでとう」


 スタッフの受付のお姉さんに話かけられ、景子は高柳の存在を気にかけながらも話をした。


しかし、普段そこまでコミュニケーションを図っていない相手とそう何十分も話が続く訳もなく、「じゃあ、そろそろ帰ります」と言わざる得ない状況になってしまう。


後ろ髪を引かれながらも塾を後にしようとする景子は、何度も高柳の方を見るが、彼は一向に気がつく気配がない。


所詮、いくら個別といえども塾の講師と生徒という関係は、いくら二人っきりでいる時間が長いとしても、それ以上の関係にはなりえないのだ。


溜息と共に、階段を下りて行く。


この一年間の恋心は残念な形で幕を閉じた。


最後の授業の時に渡してしまえばよかったかもしれない。


それともさっき強引に聞いてしまえばよかったかもしれない。


そんな事を頭の中で何度も考えていると


「景子ちゃん!」


背後から高柳の声が聞こえた。


「先生!?」


「帰るんなら声かけてよ」


「だって、先生授業中だし」


心臓の鼓動が意味もなくバクバクと景子の中で脈を打つ。


「これ」


「え?」


高柳から差し出された小さなメモ帳の切れ端。


震える手を必死に抑えて受け取り、開くとそこには高柳の筆跡でLINEのIDが書かれていた。


「まあ、困った事があったらいつでも連絡しといで。俺じゃあ頼りないかもしれないけど」


「そ……そんなことないです!嬉しい……受験の合格よりも、嬉しいかも」


思わず瞳から涙がこぼれた。指で涙を拭う。


高柳はそんな景子の様子を見て優しくほほ笑み、景子の頭に手をポンと置いた。


「ありがとう」


「それはこっちの台詞ですよ」


 互いの顔を見つめ合い笑う。高柳が景子の顔を見つめつつ何か口を開きかけた時


「高柳先生!授業早く戻って下さい」


 受付のスタッフさんが、注意しにやってきた。


「やば!じゃあ、また」


 「また」という言葉の後に、「また続きはLINEで話そう」というニュアンスが含まれているのが、嬉しくて景子は大きく頷いた。