走って走って……
息がきれるほど走った。
こんなに全力疾走したのはいつぶりだろうと思うくらい。
それなのに………
甘栗色の短い髪。
きつねのような切れ長の目。
太陽の光をしっかり浴びた健康的な肌。
強くしなやか、でもボロボロの指。
へったくそな歌声。
彼の元から逃げるように去った後も
学校についた後も
日直の仕事をしている時も
授業を受けている時も
何故か彼が頭から離れなかった。
彼のギターの音が…
耳にまとわりついて離れない。
あんなの音楽じゃない。
もっと美しくて優雅な音色を私は知っている。
あんなのではない。
あんな…
あんな音を認めたくなかった。
…認めたくない…?
『櫻田さん?どうしたの?』
『え…?』
『次、移動教室だよ。ほら、急ごう。』
『………うん。』
認めたく…ない?
私に他人の音を決める権利などもっていないのに。
私はとっくの昔に……
『あ、あれ見て!』
『………』
『中等部の一ノ瀬君だよ!』
窓越しから見えるグラウンド。
今日は中等部が使っているらしい。
その中等部の学生の中には郁の姿もあった。
『一ノ瀬君いいわぁ。中等部の中ではダントツ可愛い!』
『…そうだね。』
『ルックス抜群、成績抜群、スポーツ抜群!パーフェクトぉ!』
『………』
『でも、残念な事に声が出ないらしいんだよね。私は気にしないけど…話が出来たらもっと人気があったかもねぇ。』
声が出たなら。話が出来たなら。
郁の今はもっと違っていただろう。
郁の声は綺麗だった。
郁の声は優しさに満ちていた。
でも、もうその声を知る人は少ない。
その尊い声を奪ったのは私だ。
私はとっくの昔に音楽を捨てた。
楽器も歌も……
興味も感心も…もってはならない。
それだけが…
声が出ない郁に私が出来る事だった。

