綺麗な青空が広がっている。校庭の桜が散り、アスファルトの地面を鮮やかなピンク色に染めていく。俺は高校2年生となり、新たなクラスメイトと高校生活をエンジョイするつもりだ。

「ユウ~!!」

「友弥ー!こっち来いよー!」

俺を呼ぶ声がする。2人の声は嬉しさで満ち満ちている。彼等は高校で出会った初めての友達で、今では親友と言ってもいいだろう。

「よっしゃ!また同じクラスなれたな!よろしく頼むぜ、ユウっ!同じクラスなれてよかったー!!」

明るい声でいつも寝ぐせが派手なのが特徴の、永盛慎也(ながもりしんや)。ムードメーカーであり、人懐っこい犬ような愛らしさがある。感情が表に出やすく泣き虫で、嘘や誤魔化しがヘタクソなのも、コイツのいい所だろう。高身長でガタイのいい外見とは裏腹に、女子の好む様な小動物や可愛らしいものが好きな所もある。

「まーたおんなしメンツかよー。腐れ縁ってやつかねー。……なんてな!まぁいっちょ、よろしく頼むわ、友弥。ワンコの手網はお前しか引けねぇからな。」

艶やかな黒髪の銀ぶちメガネで少々口が悪いコイツは、保坂忠(ほさかただし)。口を開けば嫌味をこぼすようなやつだが、真面目で努力家で心配性で、いわゆる父を思わせる様な包容力のある人物だ。生物について語らせたら右に出る者はいないほどの生物オタクでもある。

「おい忠!ワンコってどーゆーことだよ!」

「犬みてーに尻尾ふって、まっ先にユウに抱きついたやつがよく言うぜ。」

「感動の再会みたいでいいじゃねぇか!」

「あのなー、春休みも会ってるっつーのに感動の再会もクソもねぇってんだよ。」

「なんだとぉ!?このメガネオタク!!」

「全国のメガネを掛けたオタクに謝ってくださーい。しかも、メガネとオタクに罪はありませぇーん。」

おうおう、いい加減にしろよー2人とも、と2人の口を塞ぐ。相性が悪そうに見えるこの三角形は、絶妙なバランスで成り立っているのだった。この3人ですごす毎日は、いつも俺を笑顔にしてくれた。だから俺はどんな時でも笑っている。

「友弥ってさー、いつでも笑ってるよなー。表情筋つんねーの?」

「んー……そんなつもりはないけどなー。お前らといると楽しいから、自然と笑っちまうんだよ。」

「ユウっ……お前ってやつは……嬉しいこと言ってくれんじゃねぇか!!」

屋上で食べる3人の昼食は賑やかだった。忠の生徒会権限で、普段は立ち入り禁止の屋上を使うことが出来る。柵から見える風景を眺めながら、友達3人で独占するこの優越感はたまらない。1年生のころから続いているこの習慣にはもう慣れてしまったが、いつも楽しく、笑顔あふれるこの時間を、いつも幸せだと感じている。

『この時間が、いつまでも続けばいいのにな……。』

その思いもつかの間、願いを叶えることが出来ないまま、俺は人生の幕を降ろすことになる。

「ちょっと……言っていいか?」

「ん?」

「なんだよ急に、改まってどした?」

いつも通りの昼、5月の始め。俺は入院することを2人に告げた。

「入院っ!!?」

「えっ……マジかよお前……なんでもっと早く言わねぇんだよ!」

予想以上に心配された。俺は少し申し訳なくなったが、友情故に、愛故にこういう風に叱ってくれるのだと思うと、有り難く感じる。

「大丈夫だって!そんなに怒るな……そんなに酷い病気じゃねぇって。大丈夫大丈夫。」

「大丈夫だったら入院なんてしないだろ!」

「そうだぞ!なんで大丈夫なんて言いきれるんだよ!笑える話じゃねぇぞ!」

「ほんとに大丈夫だってー。」

お前の大丈夫は信用ならんっ!と口を揃えて言われてしまった。

でも確かに、そんな大丈夫とは言えない状況ではあった。病名こそ忘れてしまったが、少し前から息が詰まっていくような苦しみと、心臓を抉られるような胸の痛みを時々感じるようになった。高校生になって間もないころだった。喘息にも、胸焼けにも似たこの痛み達は、少しずつ数も増え期間も短くなってきた。時には、学校を数日休むほどに。何とか誤魔化してきたが、ついに親に病院へ連れられた結果、即入院だ。

「そう心配すんなって、すぐ帰ってくるよ。」

「……お見舞に、薔薇の花束大量に送り付けてやる。」

「んじゃ俺はフルーツの盛り合わせ(バナナしか入ってない)のを3つ、いや5つ持っていこうかなー。」

「お前らなぁ……。」

あまり深刻に捉えてくれなくてよかったと思った。これでまたすぐに治して、学校に行って、それで俺は、教師になるために頑張るんだ……と、そんなことを思っていた。だが、俺の身体はそれを許してはくれなかった。

入院して1週間ほどのことだった。俺は今までで最大の痛みに苦しんだ。喉が焼ける様に熱い。身体の内側から燃えている様だ。苦しさと痛みに、ベッドのシーツを強く握った。息が出来なくてクラクラする。耳の中に心臓があるようにドクドクと鼓動する。地獄のような苦しみだった。

「先生っ!容態が急変致しました!」

「友弥君っ?友弥君っ!?聞こえますか!?」

「意識レベル低下中、脈拍も異常です!」

看護師や医者がバタバタと俺のベッドの周りを駆けている。すぐそばの椅子には、母さんが両手で十字架を強く握りしめて、涙を流しながら祈っている。

『……五月蝿い。』

酸素の足りていない脳が頭痛を引き起こし、服は汗でびっしょりだった。

『頭痛い、苦しい……胸が……あぁ、辛い……。』
・・・・・・
一時は治まったものの、俺は死んだように眠りについた。ここ数日間、激しい痛みと苦しみが立て続け起こり、少し限界を感じつつある。鬱になった俺は遺書まで書いてしまう始末だ。まだ希望を捨てたくはないが、生きる方が難しそうだ。

『……学校……行きてぇなー……2人は、なにしてんだろう……会いたいな……。』

そんな小さな願いを神が聞き届けたかように翌日、2人が見舞いに来た。深刻な顔をした2人、慎也に至ってはもう泣きそうだった。

「っ……全然、大丈夫じゃねぇじゃんかよっ……!」

「……元気そうだなって言いたかったけど……全然元気そうには見えねぇな。……気分はどうだ?」

俺は、笑って見せた。もちろん俺は大丈夫だ。心配ない。だから、そんな顔しないでくれと言いたかった。声は激しい咳で掠れた声しか出せなかった。めいいっぱい笑うことしか、2人を励ますことが出来ない。それがとても辛かった。

「……学校……今、どんな……感じなんだ……?」

自分の口から出た声は驚くほどか細く弱々しい。まるで自分の声ではないみたいだった。連日の咳や過呼吸で喉がやられてしまっているようだ。

「お前ってやつは……この後に及んで学校の心配かよ……いつも通りだ。お前以外はな。さっさと退院しろってんだよ。お前の机、プリントまみれなんだからな?」

「っ……はは……ケホッ……早く……退院、しねーと、な……。」

沈黙の中、人工呼吸器の音が鳴り響く。すると、水気のある音に気がついた。

「うっ、ヒグッ……うぅ……グスッ……っ……。」

「え……慎也?」

「っ……ごめっ……なんか、急にっ……止まん……なくって……ごめんっ……。」

「馬鹿……泣くんじゃねぇよ。これ以上悪くなるって決まった訳じゃねぇだろ?友弥だって頑張ってんだから、お前が泣いてちゃ意味ねぇだろ?」

俺は慎也の手を握った。手汗と涙で湿った手は冷たく、震えていた。

「しん、や……だいじょ……ぶ?」

「っ!……ユウ……ごめんっ……ごめんなぁ……情けねぇよっ、こんな……。」

「へへっ……あい、変わらず……泣き虫、だ、な……俺、頑張って……治っ……。」

言いかけた時だった。大きな鼓動が、俺の胸を締め付けた。ドクンッと鳴り響いたこの鼓動は、昨日よりも強く、そして痛かった。喉が閉じてしまったかのように息が出来ない。あまりの痛みに俺は、自分の喉と胸を押さえつけるように掴んだ。

「う、ぐ……っ……ゴホッゴホッ!……ゲホッ……っ……はぁっ……ゲホッ、ゴホッ……!!」

「ゆ、ユウっ……!?」

「!?クソ、マジかっ……!おいしっかりしろ!!大丈夫か!?チッ……ナースコールどこだっ……!!おいシン!走って近くの看護師とか呼んでこい!早く!!」

「え……あ、……。」

「……チッ……使えねぇな、もういいっ!俺が行く!テメェはユウについててやれ!すみませんっ、誰か……!!」

呆然としている慎也を他所に、忠は部屋を駆け出して声を張り上げている。

「……っはぁ……はぁ……ゆ、ユウ……っ……。」

「っ!……ごめっ……俺、何もっ……出来なくてっ……!」

俺の手を強く握る慎也。涙を目いっぱいに溜めながらこちらを見ている。ヒューヒューと肺のいつもとは違う異常な音がする。今まで経験のない出来事に俺自身も不安を覚える。そこへ忠が白衣をまとった医者と看護師達を引き連れ部屋に入ってきた。

「容態は!?」

「かなり危険な状態かと……。」

息を切らした忠が、慎也の手の上から俺の手を強く握った。

「しっかりしろ友弥っ!死ぬんじゃねぇぞ!死んだら俺がぶっ殺してやるからな!!」

「っ……ユウ……!」

意識が朦朧とする中、俺はうわ言のように呟いた。

「俺、さ……先生に、学校の…先生、なりたかっ…た……数学の……俺、なれる…か、な……。」

「!?……何言って……!」

「俺っ……しにたく…ねぇよっ……まだ、ふたり……と……。」

「っ……!」

徐々に力が抜けていく。二重三重にも見える2人。多分俺は初めて、2人に弱音を吐いたと思う。

「っ……チッ……何弱気になってんだよ!お前ならっ……絶対なれるに決まってんだろ!!」

忠の声はよく響いた。部屋にも、俺の心にも。とても嬉しい言葉だった。

「だから死ぬなっ!!死ぬんじゃねぇぞ友弥!!」

「っ……頑張れっ!ユウ!……死なないでっ……!」

そんな声も、少しずつ聞こえなくなっていく。周りが白く眩しく見えるのは気の所為だろうか?抜けていく力に逆らえず、睡魔のようなまぶたの重さに耐えられず、俺は目を閉じた。