この子は、私の生まれたこの地で育てよう。旦那さまには、月に一度会いにゆこうと。月待ち婚。私は、そう名付けた。そして、その通り、月に一回旦那さまに会いに行った。娘が病気の時は、両親に預けて、ミルクの量とか、離乳食の準備、その他もろもろ。薬も。米子市は、水鳥公園、皆生温泉、白鳳の里、食べ歩き、買い物、後藤家の周辺など、いろいろなところに行った。そんな頃、米子市から旦那さまが、大阪へ転勤が決まった。勤務態度や、業績の向上などを評価されてのことだった。米子市最後の夜は、近くの大山(ダイセン)のペンションに泊まり、これまでの、月待ち婚のことについてふたりで懐かしみながら話をした。娘はもうすぐ、保育園の年中さんだ。私は仕事をしながら、娘を育てて、月に一回旦那さまに会いに行く。旦那さまは、月に一回の逢瀬を楽しんでくれた。案外、自由でいいよなんて、言っていたけど、あれは、どういう意味なんだろう。まあ、平和に今日と言う日が、過ぎていることに感謝して、今日も眠りにつくことにしようかな。外を見ると、月が東の空高く浮かんでいる。座布団を並べたベッドには、娘が、寝息をたてて眠っている。もう、本物のベッドへ寝かせないと、風邪をひくかな。
「もうそろそろ、寝ようか?」
「そうだな。来週の今ごろは大阪の空の下だ。今のうちに、この自然をからだいっぱいに詰め込んでおかないとな」
「それは、うちでして。実家の両親が、あなたの旦那さまは、元気か?次の子は、まだかってうるさいのよ」
「それは、覚悟しないとな」