そんな風に彼のことを考えていたから
「市田、」
って私の名を呼ぶ声を私は聞き逃した。
「市田?」
もう一回彼がよぶ。
「へ?あ、はい。」
裏返った前半の声が恥ずかしい。
「照れてんの。」
彼がくすっと笑いながら、腰を少しまげて私に目線を合わせてきた。
私の身長156センチ。
彼の身長178センチ。
20センチほどの距離が一気になくなって、今の身長差0センチ。
瞳がゆっくり閉じて開いて、彼の右目じりほくろが、色っぽく私を捕らえる。
か、顔が近いよ!
手で顔をガードしたくなるのを抑えながら私は目線をせわしくどかす。
「恥ずかしい?」
彼が意地悪く笑う。
「そんなこと…ないです。」
なけなしの一滴を絞り出すかのように、私は弱く。
「本当?」
いやらしくまた弱いところを突いてくる。
「…う、も、もう、恥ずかしいですよ。」
たまらず私は離れてとばかりに彼の肩をトン、と押した。
ふらつきもせずに彼は背を屈めるのをやめてくれる。
「市田は、からかいがいがあるよね。」
私が焦がれたあの表情とは別の容貌で、ハハハって破顔した彼、
「そろそろ戻るか。」
お気楽そうに告げてくる。
…自分が照れてるときは嫌でもこっち見ないくせに。
内心むくれた私。
「ゆっくりでいいから。」
ポンって彼は私の頭を撫でる…とはいかないけど手を優しく置いた彼に、私は「亀のペースで行きます」って言った。
「え、それはどれくらいの…?」
後に続くはずだったペースという文字が消えてなくなる。
「とてつもなくゆっくりですよ!
slowじゃないですから、most slowlyですから!」
興奮気味に答える私。
「はぁ?」
彼がどういうことだよってつづける。
「いっぱい意地悪するからです、
もうからかう速水さんなんか嫌いだ!」
ふてくされた私に、彼が焦った様子で「ごめんって。」って笑いながら謝ってくる。
「ばか。」
だけど私は彼に何度もそう言う、
「ごめん。」
そのたびに彼がそう返す。
それが何回か続いて、
「…サンドイッチ2つですからね。」
そう折れた私に、
彼は「分かった」って笑った。


