素直の向こうがわ



「もう帰って。授業そろそろ始まるでしょ」


とにかく航にいなくなってもらいたい。ただそれしか考えられなくなった。

こちらのことなんてきっと、河野は気にもとめていない。
それが分かっているのに、私の焦りは増していく。


「そうだよ。もう帰りなって」


真里菜も私の表情を察して助け舟を出してくれた。


「やーだ。文子だってそろそろ身体が疼いて来る頃なんじゃない? そんなに強がるなって」


ニヤリとした顔が憎くてたまらなくなる。
こんな会話、河野に聞かれたくない。

耐えられなくて目を固く閉じた。

河野が隣の席なことがこれまでと違う意味で嫌になる。

どうしても気になってしまうその横顔は、こちらを向くことはないというのに――。


「やめて……っ」


お願いだからもう消えて。

自分の声が情けないほどに弱弱しくなる。

航の馴れ馴れしい距離感が、自分自身の本質を突きつけてくるようで。

分かってる。私がどうしようもない人間だってこと。

別に河野にどう思われようと関係ない。
それに、どうせもうとっくに軽蔑されている。

それなのに、どうしてこんなにも苦しくなるんだろう。


「おい」


苦しくなって俯く私の頭上から、航とは違う人の声が聞こえて来た。


「アンタのクラス、もう先生来てるみたいだけど」


思わず見上げた先に、いつもと同じ無表情の河野の顔があった。
そこから繰り出される抑揚のない冷めた声。


「はあ? もうそんな時間かよ。じゃあ、またな」


航が舌打ちをして、教室を出て行った。
私はただ河野を見つめることしかできなくて。

河野はもう自分の席について、次の授業の教科書を開いていた。
真里菜もそんな河野に呆気にとられている。


「……ほんとに先生来てたの?」


そして私は馬鹿なことを聞く。
何かを言って何もかもを誤魔化してしまいたかった。


「俺、あいつのこと知らねーし」


こちらを見ることもなく河野が答える。


「え? それって……」


嘘ってこと――?


私の胸が激しく動く。