「早く拭いちまわないから両手ふさがってんだろ。ほら、もうしまえよ。それでちゃんとどっかに掴まってろ」
そう言って差し出されたタオルを受け取る。
そして、私の目の前にあった眼鏡男の顔はもう横顔になっていた。
「なんなのよ、勝手に……」
想定外のことばかりされて、私はもうパニック状態だ。
それなのに目の前の眼鏡男は涼しい顔で外を見ている。
毎日隣の席に座っていたはずの眼鏡男を、まるで今日初めて知るかのようで。
私の見ていたアイツは、ほんの一部分だったなんて当たり前のことを思い知った。
「悪かったな」
「……あんたも拭けば?」
それが私の精一杯。
半分以上濡れてしまっているタオルをそのまま突き返す。
横顔がこちらに向けられたのは気付いたけど、真正面からアイツの顔を見る勇気はない。
「そのタオル、かなり濡れてんだけど?」
「じゃあ、いいっ」
引っ込めようとしたタオルはいつもの間にかアイツの手の中にあった。
「でもまあ、何もしないよりはマシだな」
思わず見上げると河野は自分の肩を拭いていた。
「だ、だったら、つべこべ言わずに受け取っときなさいよ」
苦し紛れの私の声は、完全に上擦っている。
「……アンタってほんと……」
「なによ!」
「……別に」
呆れたようなその声が何故か不快じゃなくて。
そんな自分に戸惑いながらも、集合場所の駅に着いた時にはその時間がとても早く感じた。



