いるはずのない人の、聞こえるはずのない声に思わず顔を上げた。
それでも顔が見えなくて更に上の方を見上げると、傘を手に立つ眼鏡男、河野が私を見下ろしていた。
「どうして――」
その目と私の目が合った時、一瞬だけ眼鏡男の無表情が崩れたような気がした。
目を見開いて、何か見たこともないものでも見たような目。
でもそれは、本当に一瞬のことで、気のせいだと思わせるほどのものだった。
「もしかして、傘がないとか?」
「う……」
それを証拠に、次の瞬間にはいつものように氷点下の目で辛辣な言葉を放ってきた。
「こんな梅雨の時期に傘持ってないとか、アンタ、本当の馬鹿なの?」
「な――」
「ほら行くぞ。時間ないんだ」
叩きつける雨音と共に聞こえる眼鏡男の冷たい声に、そしてその優しさの欠片もない言葉に腹が立つのに、一方で深く安堵している自分がいた。



