「おまえにとって大切な人なんだろう? なら、どんなに傍にいるのが辛くても一緒に立ち上がって、嫌だと言われるまで一緒に歩いてやることだ。おまえはそれが出来る人間のはずだ」


父親が私を真っ直ぐに見据える。なんのことだか分からなくて私はただ見つめ返した。


「おまえが小学生の頃、仲が良かった友だちがいじめられていたのを見て見ぬふりをして、その子が学校に来なくなったんだと泣いたことがあったな。でも、おまえは自分の過ちを認めて、逃げずにその子のところに毎日通った。学校に来てくれるまでずっと」


父親がそんな昔のことを覚えていることに驚いた。自分でさえ、そんな出来事を思い出すことはなかった。そしてそれは、父親にとって私との記憶がそこで止まっていることも表していた。

「文子の泣き顔を見たのは、それ以来かもな」と父親がぽつりとひとり言のように零した。


「……おまえは私のようになるんじゃない。後悔しないようにな」


この人も、後悔してるの――?


心の奥底に隠し持つ思いを吐き出すように言葉を紡ぎ始めた。


「父さんは、怒りに任せて母さんを手放してしまった。もっとあの時の母さんの気持ちを考えてやればよかった。大切な存在だったなら、もっと言葉を尽せばよかった。それに、おまえのこともだ」


そう言って、父親が私の目を真っ直ぐに見つめる。


「おまえから母さんを奪った罪悪感と、私を憎むおまえにどう接していいのか分からず、ただ変わっていくお前を責めることしか出来なかった。おまえと向き合うことから逃げたんだ。でも、おまえは父さんとは違う。どんな過ちとも向き合えるはずだ」


そう話す父親は、やっぱり困ったような顔をしていた。
もしかしたら、娘の私にどう笑いかけたらいいのか分からなくなっていただけなのかもしれない。

私は――。

自分が辛くて、河野の傍にいるのが辛くて、河野から逃げ出した。
自分のせいで河野に迷惑をかけたことの大きさに押し潰されそうになって、どうしていいか分からなくなった。
それでも河野は私のことを一番に考えてくれた。


『今度はあんたの番なんじゃないの?』


あの日、薫に言われた言葉。

自分の辛さなんて耐えればいいだけの話なのに。
一緒にいて辛いかどうかを決めるのは河野だ。
私じゃない――。


私は、間違っていた。
河野のためにするべきことは他にあったのに。

父親の言葉と、薫の言葉が私を突き動かす。

私にとって河野は、何よりも大切な人だ――。

私は玄関を飛び出した。