2月――。
私は奇跡的に都内の私立女子大の栄養学科に合格した。
入学手続きのこともあるから、父親に報告しないければと思いながら帰宅した時のことだった。
玄関に入った途端に父親の大きな声が聞こえて来た。
「今頃、何のためにこの家に来た? 何のつもりだ!」
誰?
誰が来ているの――?
恐る恐るその声がするリビングへと近付く。
「文子に会いたいからよ!」
リビングの扉にはめ込まれたガラスからのぞき見る。
私は驚きのあまり、足が止まる。
それは、三年ぶりに見る母親の姿だった。
「文子に会いたいだと? どの口がそんなことを。男と別れたからと言って自分勝手にもほどがある」
――男と、別れた。
それは、どういう意味――?
「私のことはどうでもいい。でも、おまえは文子ではなく男を選んだんだ!」
「私も寂しかったのよ。あなたはいつもいなくて、私のことなんて全然見てくれなかった!」
「そんなこと、文子を捨てる理由にはならない。今すぐ帰ってくれ!」
父親が一方的に追い出したんじゃない――?
お母さんが、私を捨てた――?
そんなこと知らない。呆然と立ち尽くした私の目の前でリビングの扉が開く。
「……文子?」
目を見開いた母親と絶句した父親。
「今の話、聞いたのか……?」
「文子、ごめんねっ」
あの日と同じセリフを残して、母親が私の横をすり抜けて行く。
三年前より年老いて見えたその姿に勝手に胸が痛む。
逃げるように玄関から出て行った母親を咄嗟に追いかけた。
「待ってよ、お母さん!」
住宅街の真ん中で声の限りに叫ぶ。
こちらに振り向くことなく、母親が立ち止まった。
そこに一歩一歩近づく。そぐ傍に立つと、三年前より小さくなったような気がした。
「……さっきの話、本当なの?」
緊張で掠れた声が、冬の乾いた空気にかき消されそうになる。
「文子、知らなかったんだね……。お父さん、あなたに何も言わなかったんだ」
少し涙の混じる声が耳に届いた。
そして、こちらに振り向きはっきりとした声で母親が告げた。
「お母さん、お父さんより、そして文子より好きになった人を選んだの」
その目にはやっぱり涙が浮かんでいた。
「いつも寂しかった。そして虚しかった。そんなときに、お母さんに優しくしてくれる人が現れたの。寂しいのは文子も一緒だったのに、私は自分のことしか考えなかったのよ」
一緒にいても、いつもどこか違うところを見ていた母親の目を思い出す。
雨の日、いつも母はその人のところに行っていたのだろうか。
「私、あの人が一方的に追い出したんだと思ってた。いつも仕事ばっかりで帰って来ないお父さんをお母さんが責めたりして、二人の仲が悪くなって追い出したんだって……」
私は、何も分かっていなかったのかもしれない。
「違うのよ」
「どうして、あの人は――」
私に何も言わなかったんだろう――。そう思った瞬間に、母親が口を開いた。
「お父さんは、母親に捨てられた、なんてあなたに思わせたくなかったのよ。きっと」
母親の疲れた顔が胸に沁みつく。
初めて知った真実にショックを受けていた。
優しかったと思っていた母親に、本当は捨てられていたなんて――。
でも、今の私は三年前の私じゃない。あの頃よりずっと強い。
それは、全部、河野のおかげだ。
立ち去ろうとした母親を呼び止めた。
「それでも、お母さんは私のお母さんには変わりないでしょ?」
私は、そう言い放っていた。



