「松本」
「はいっ」
不意に呼びかけられて肩をびくつかせた。
「またそんな返事。おまえ、緊張してんの?」
河野の表情からはその感情を読み取ることが出来ない。
緊張してるよ。私、一人バカみたいに――。
「してないよ。するわけないじゃん」
だからって認めることが出来るはずもなく。
私はただ強がるばかり。
「嘘。おまえって、緊張すると絶対敬語になるだろ」
「なっ……。別に、河野と二人きりになったからって緊張する必要ないし。それより河野こそ、そんな落ち着き払っちゃって、実は女の子部屋によぶの慣れてたりして」
私は一体、何を言ってるんだろう。
そんなこと言いたかったわけじゃない。バカな自分をどこかに投げやってしまいたい。
「この部屋に女なんか入れたことない。おまえが初めて」
「……え?」
また、毒でも吐かれてあしらわれるんだと思った。
でも、今目の前にいる河野の表情は、息が止まってしまいそうなほどに真剣なものだった。
「そもそも、こうやって誰かと付き合ったりするのも初めてだよ」
私はただそんな河野を見つめることしか出来ない。何も言えなくても、ただ胸の鼓動の回数は加速度的に増えて行く。
「だから――」
――こうやって誰かと付き合ったりするのも初めてだよ。
『初めて』という言葉に単純に喜んでいる私。
自分のことなんてあっという間に棚に上げて。
「余計なこと考えてねーで、ちゃんと勉強に集中しろ」
「いたっ」
丸めたノートでパコッと軽く頭を叩かれた。
「な、何すんのよ」
顔なんて完全にふやけてしまっていて、形だけの抗議をしてもまったく意味をなしていない。河野はもう自分の問題集に取り掛かっている。
言葉足らずでイマイチ何を考えているのかその心をなかなか見せてはくれない。
そんな河野に、いつもどこか不安だった。
でもその『初めて』という言葉が、私のこと特別なんだって言ってくれたみたいで、心の奥底から温かな幸せが湯気のように立ち上る。
さっきまでこの心を覆っていた闇なんてすっかり忘れて、ただ幸せに浸っていた。



