素直の向こうがわ



その後、河野が切ってくれたいびつな形のりんごを食べた。


「いくらなんでも、これ、あまりに酷くない? りんごってもっと可愛い形の食べ物だよ」

「なら、食うな」

「食べる。食べるって」


受け取った皿を取り上げられそうになって慌ててその皿を引き戻す。


「うん。形はともかく味はちゃんと美味しい」

「うるさい」


そう怒って見せたかと思ったら、表情を緩めて私に語りかけるように顔をこちらに向けた。


「熱も下がったし、おまえもいつもの騒がしさが戻って来たことだし、俺そろそろ帰るよ」


『帰る』という言葉に一瞬寂しさを感じそうになって慌てて笑顔を作った。
どうして、熱を出したりすると、母親の温もりなんかを思い出して寂しくなったりするんだろう。


「これからなら、一度家に帰ってからでも学校間に合うもんね。それに今、中間前だったよね。勉強時間奪っちゃってごめん」


来週から中間テストが始まることを思い出す。


「バカ。おまえと違って、一日二日勉強しなかったからって結果に響くような実力じゃないんだよ、俺は」

「悪かったわね、河野と違ってバカで」


河野のお決まりの毒舌につい悪態をつく。
でも、それが河野なりの優しさだということは分かっている。


河野は、あれを食べておけだの水分は多すぎると思うくらい取っておけだの、温かくしろだのとしつこいほどに私に言った。


「おまえは、今日一日ちゃんと寝てろ。もう大丈夫だと思うけど、もし何かあったら気なんか遣わずすぐに連絡しろよ」


玄関先まで見送りに出ると、振り向きざま河野がそう言った。


「うん、分かった。本当にいろいろありがと」

「もういいから、早く寝ろ」


「じゃあな」と言った河野の声に、身体が反応して少し強張る。


ドアが閉じたと同時に静寂が訪れた。

少しずつ明るくなり出した空から玄関に光が差し込んで来る。
そこに浮かぶようにまだ感じる河野の残像に浸っていたくなった。