「何してるの、上村さん」

今日、教会学校の子どもたちに教える予定の讃美歌を練習していた時のこと。 手元が狂って音が乱れるのが目立ち、山口さんに後ろから突っ込まれました。

「少し、手元が狂っただけよ」

「いやいや、少しどころの騒ぎじゃないでしょ」

もう暗譜もしっかりしているはずなのに、今日に限ってなぜか集中できないのです。 どうしたことでしょう。

「お千代ちゃん、ちさちゃん、ちょいと来てくれないかね?」

山口さんと言い合っていると、既に用意を済ませた信者の方に呼ばれました。 『お千代ちゃん』というのは山口さんのことで、本当の名前は山口千代子(やまぐちちよこ)さんといいます。 女の子の名前に”子”がつく人が増えてきた頃に私は生まれたので、高貴な雰囲気がして憧れたものです。

私の『ちさ』は余り聞かない名前ですし、なんだか幼い気がして母に抗議したこともありましたが、今は名前をすぐに覚えてもらえるので良かったと思います。 それに、下の姉の『りさ』よりはまだ和風ですからね。

「はあい」

私たちは、普段は礼拝に来た方と食事を取る大広間に駆けました。 午前中は日本人の礼拝なので、今は麓から来た日本人の信者の方が大勢います。 その中で、私は自然と浮いた存在にはなりますが、生まれたときからこの街に住んでいるからか白い目で見られることは多くありません。 たまに言われるとしたら、観光の人たちです。

「僕ハ、パトリック・エイベルト言イマス。 日本語、大丈夫デスヨ」

他の皆さんはもうとっくに挨拶を済ませていて、お話ししていなかったのは山口さんと私だけだったよう。 兄にギロリと睨まれてしまいそうです。

「女学校の時英語だけはだめだったから、どうしようと思った」
横から、ぼそっと山口さんの独り言が聞こえてきて、私は思わず苦笑いしてしまう始末。 お恥ずかしいです。

「山口千代子です。 宜しくお願い致します」

「宜シクオ願イシマス」

エイベル先生は、ニコニコと笑みを浮かべて山口さんにシェイクハンズ…握手を求めています。 優しいお顔をされていて、彼女ばかりでなく傍で見ている私までうっとりとしてしまいます。

「あ、上村ちさと申します」

「先日ノオ姉サンデスネ。 アリガトウゴザイマシタ」

「いえ…どう致しまして」

そして、ニコニコと笑みを浮かべて握手の手が差し出されました。 その笑顔が主なる神にも見えてしまって、私は顔を上げられません。 同じ牧師でも、文男兄さんとは月とすっぽんです。

常に笑顔で、弟妹に優しい二番目の寸一(しゅんいち)兄さんには少し似ているかもしれませんが、兄さんは身内なので緊張することはないのです。



副牧師、エイベルさん。

この方を見ると、言いようのない感情に包まれるのです。