ハッシュハッシュ・イレイザー


「一体、何があったんだろう。心臓発作かな」

 身近で起こっている切迫した状態に、紫絵里は動転し、おろおろとしている。

「もともと、体が弱い人だったのかもね。お気の毒に」

 真理は止まっている観覧車の天辺を見上げて言った。

 そのゴンドラの屋根の上に、黒い羽根を持った男が、ふざけたように足をぶらりとさせ座っている。

 それを真理がはっきり見た時、それは不敵な笑みを向け立ち上がり、その後さっさと上空へ飛び立っていった。

「ハイド……」

 ついその男の名前が口から洩れた。

「えっ、何?」

「ううん、何でもない」

 真理は慌てて、目を逸らし、俯いていた。

「なんだか、とんでもない時に出くわしたね。あの人、大丈夫だといいんだけど」

 大したことがないように、紫絵里は願うつもりで言った。

「そうだね」

 真理は相槌を打つように、虚しく呟いた。

 真理にはわかっていた。すでにその人が命を落としていたことを。

「ここに来て、観覧車なんか乗らなければよかったのに、そうすれば……」

 真理が言った後、紫絵里が続けた。

「こんなことにならなかったかもね。よっぽど体に負担がかかったのかも」

 だけど、真理は違う事を考えていた。

 もう少し長く生きられたのに──と。

 ハイドがここに居たために起こってしまった事。

 あの人は運が悪かった。

 そして、公共の場で変に目立って倒れてしまうと、もっと悲惨でお気の毒過ぎる。

 池に餌を投げて集まってきた鯉のように一ヶ所に集まって、スマートフォンを持ち上げていた人々。
 
 さらし者にされたようだった。

 真理は救急隊に運ばれていく犠牲者をぼんやりと目に映し、心の中で冥福を一人祈っていた。

 そうするのが礼儀だといわんばかりに。