偽りのヒーロー




 時折聞こえる口喧嘩の内容も、そのやりとりの端々が聞こえてくることもある。

その時だけは、さすがによそでやってくれと、クラスメイトに聞かれている前で堂々と言い合う二人に視線を投げかけることもある。


一度、結城の背中越しに明るい髪色の女性の目が合ってしまい、じろりと睨みつけられてからは、固唾を呑んでその様子を見守るしかできなくなったけれど。



「一回ヤッて別れるってなんなわけ? やり逃げかよ」

「この間女と腕組んでるところ見たんだけど。あれ誰? 彼女あたしだよね?」



 ——こんな痴話喧嘩のやりとり。菜子が遭遇してしまったときには、加えて平手打ちされていた。


 高校生にもなれば中学生の頃とは違う、彼氏彼女の形になるのも頷ける。

心も体も少しずつ大人に近づくからだ。最も、つき合ったこともなければ、初恋もまだだという菜子にとってはまだまだ未知の世界のことだ。

されども結城の付き合い方が平均的な男女の形よりも些か乱れているということくらいは理解が事足りている。

反面教師。まだ近くも遠くもないクラスメイトの結城にとっては、その言葉がぴったりだった。



「そうだね。できることなら、平和なほうがいいね」



 結城を嫌う菖蒲の言葉に、菜子は返す。

しかし菖蒲にとっては素っ頓狂な答えだったようで、苦笑したのち「そういうことじゃないから」と答えた。 



「私も一回くらいは結城くんみたいになってみたいなー」

「はあ? 何言ってんのよ。菜子には無理よ」



 予想外の菜子の言葉に、菖蒲は訝し気な目を向ける。眉間に皺を寄せ、あまりにもわかりやすい態度で、顔の前で手を振って弁解を試みた。



「いや、なんて言うんだろ。つき合うとかどんな感じなんだろう。ていうかモテたい。一回くらい」

「何それ、正直すぎ。大丈夫よ。菜子なら心配しなくても彼氏できるわよ」

「でもその前に好きな人つくらなきゃ」

「つくるつくらないってわけでもないんじゃない? 自然とこう……できるんじゃない?」

「え! 何それ大人の意見……!」



 羨望の眼差しを向ける菜子に、「やめてよ」と頬を赤らめ微笑む菖蒲。

つられて笑うと視線を感じる。

どうせまた、レオが菖蒲を凝視しているのだろう。そう思って感じる視線に気にも留めず、頬張っていたパンの袋を畳んでごみ箱に放った。