彼の手慣れた一挙手一投足に。

「はいそうですか。」と頷けるほど、純じゃない。








「何怒ってんだよ。」


終電後、夜更けの帰り道を。
同じ駅で降りた岩田さんを無視して、ガシガシ歩く。

一度だって振り返らないのに、背中から時折聞こえる声は、絶妙な距離感を保ったまま。
振り切ろうとしてるのに。彼はちっとも、振り切られてくれない。



『怒ってません。』

「怒ってんだろ。」

『ついて来ないで。今日は帰ってください。』


何度目になるだろう、このくだり。
今日はやけに人通りがなくて、私たちの声は街灯の下でぼうっと響く。



「無理、もう電車がない。」

『タクシーで帰って。』

「明日のスーツがない。」

『いっぱい持ってるじゃないですか。』

「嫌だ、澪のとこに置いてるやつが着たい。」


いつからから、私の部屋のクローゼットに居座る彼のスーツ。
初めて私の部屋に来た時、当たり前のようにそこに並べる背中を見て、擽ったくて嬉しかった気持ち。

どうせあれだって恒例なんだ。
岩田さんになんて、私の気持ちは絶対分からない。



もう少しでマンションに着く。エントランスが見えたら、思いっきり走ろう。

心の中で数えた3秒後、思いっきり地面を蹴った。背後で弾けた私の名前。
今度こそ振り切れるように、なりふり構わず全速力で駆ける。



だけど、エントランス前の段差に差し掛かったその時________





「澪!」



足首が捻れた感覚で、視界が大きく歪んだ。ヒールの直径1センチが、私の身体を見失って。


あ、倒れる________


そう思って目をキュッと閉じた時________









彼の香りに、飛び込んだ。