じゃ、結局は何も覚えてないってことなんだな」
腕を組んで眉間にしわを寄せている顔を見ていると、なんだか申し訳なくなってきた。
昨日は、お風呂上りにそのままソファで眠ってしまい、気づいたら夕方になっていた。自分の年齢も家も学校もなにも覚えていない。自分に関する記憶だけがなくなっていた。
「記憶喪失には種類があって、すべての記憶がなくなる場合と一時的なショックで自分のことを忘れる場合があるから、きっかけがあれば治ることも多いんだよ」
頑張って慰めてくれているが、くら闇の中に突き落とされた気分だ。
「自分のこと、探るにしてもさ、住む家もお金もなしにほり出せないしな」
「私、どうしたらいいですか??」
「うーん、、、俺さ、自分の精神科クリニック開業してるんだけど、そこの事務職員やりながら、この家に住む?」「それだったら、給料払えるしさ、居候にも難なくて、悪い条件じゃないと思うよ」
びっくりした。そんなこと考えてなかったし、てっきりどこかに追い出されると思ってた。「私がどこの馬の骨かも分かんないのに、家に置いといて大丈夫なんですか?もしかしたら、犯罪者かもしれないですよ」
「ん。別にいいよ。気にしないし。それ以外に選択肢ないしさ、」
断る理由なんてなかったし、正直私が今行くところなんてない。
「よろしくお願いします」「うん、今日からよろしくな」
空いてる部屋使っていいよと言われ、まず部屋の掃除からすることにした。
使っていない割に部屋はとてもきれいで、まるで誰かが毎日掃除しているかのようだった。

「あのさ、」「は、はい!」いきなり顔を出してきたことにびっくりしていると、「何びっくりしてんの?ちょ、今から出れる??」
何か手伝いでもすんのかな?と思いながら、出れると答えると、車のカギをもって急かされた。
よくわからないまま車に乗り込んだ。「昨日からなんも食べてないじゃん。なに食べたい?」言われてそうだったと思った。「あー、、何でもいいです」「はぁ、たっくお前は馬鹿ですか?聞かれて何でもいいが一番困んの。」「はあ、、、」
「どうしましょう」
「どうしましょうかって、もういい適当に行く」「すみません、、」
「いや、別に謝んなくていいし」
しばらく車内ではお互いに無言だったが、ちらちらと横顔を盗み見ていた。
とても整った顏で、モテそうだなと考えていると、ちょうど横目でこっちを見て来た。
勢いよく目をそらした。「ふっ、可愛いね反応。」
自分の顔が赤くなっているのが分かった。「私、可愛くないですよ」
「そう言ってんのが、可愛くないの」
車内にかけている音楽が「プラネタリウム」に変わった。
「この曲知ってる?」「あ、はい。結構好きです」
「この曲聞いてるとさ、なんか昔を思い出すんだよね」
「きれいな曲ですよね」
「まぁ、おれは二度とあの時と同じ景色は見れないけどな」
「え、、、?」「もう一度会いたい人でもいるんですか」
「よく公園とか、屋上行くと星空が見えるけど、それ見てると泣きたくなるんだよ」
泣きたいよ それはそれはきれいな空だった
大塚愛が作詞作曲した歌だ。私は、このとき、この言葉の意味はまだ知らなかった。

そのあと、買い物に連れて行ってくれて、お金を気にする私に、後払いでいいからと強く言われ、とりあえずの生活はできそうなくらいそろえてもらった。
掃除とかの家事も任されることになり、私の新生活は始まった。自分が誰か分からない不安は大きいが、なぜか不思議な安心感もあった。
名前がないと不便だし、新しい名前を付けるのは不思議な感じがしたが、成美という名前をもらった。
出会って一日が経とうとしていた。