何度でもあなたをつかまえる

かほりは再び、父に電話をかけた。

千秋はすべてを心得ているかのように、穏やかに娘を諭した。

『今夜は諦めて帰宅なさい……と言っても無駄だろう。今から行けばライブの終わるまでには会場に着けるだろう。……ただ、雅人くんの仕事に差し障りがないように……迷惑をかけないようにな。』

「わかりました。……あの……お父さま……ありがとうございます。」

止めるどころか、かほりの気持ちを察して情報を提供してくれる父の気持ちに、かほりは泣きそうになった。

『……ああ、レッスン室のチェンバロを買い換えておいたよ。……明日、弾きに帰っておいで。』

千秋はそう言ってから、いたずらっ子のように笑って付け加えた。

『新しいのを制作依頼してたのに、出来上がる前に、ブランシェがオークションにかかったらしくてね……つい、買っちゃったよ。お母さまには、内緒だぞ。』

「え……ブランシェ……。レプリカじゃなくて?本物を買ってくださったのですか?」

さすがに、驚いた。


ブランシェは、代々、フランス王家御用達の鍵盤楽器を作る家柄から輩出した名工だ。

18世紀後半……まだマリー・アントワネットがオーストリーから輿入れする前のチェンバロだという。

もっとも、フランスの作家が制作したものなので、チェンバロではなく、フランス語でクラヴサンと呼んだほうがふさわしいかもしれない。

『ああ。せっかくだからデュフリでも弾いておくれ。』

デュフリは、フランス革命勃発、つまり、バスティーユ陥落の翌日のパリで亡くなった、ロココの象徴のような音楽家だ。

華やかな旋律を、千秋もかほりも愛していた。

「わかりました。明日、必ず帰るようにいたしますわ。……それまで、お母さまやお兄さまたちには……何もおっしゃらないでくださいね。では、行って参ります。」

そう言って電話を切ろうとしたら、千秋が慌てて付け加えた。

『ついでに、掘り出し物があったから買ってしまったので吹いて聞かせてほしい……と、雅人くんに伝えておくれ。同時期のトーマス・ステンズビーJr.……オーボエだ。』

それも、本物なの?

レプリカでも充分なのに……。

「……お父さま……散財し過ぎでは……。」

2つでいくらぐらいしたのだろう。

想像するだに恐ろしい。