何度でもあなたをつかまえる

秘書は、この短時間で、既に尾崎雅仁のデータを入手していた。

特に、反社会的勢力とのつながりはないらしい。

常務の気まぐれが、事態を悪化させる要素はなさそうだ。

念のために、逃げた女房と男についても情報収集を部下に指示して、秘書はミラーに映った雅人を盗み見た。

……確かに、綺麗な顔をした少年だ。

母親似だろうか。

常務は、この子を自宅に招くつもりのようだが……奥さまが歓迎されるとも思えない。

お嬢さまは……。




秘書の心配通り、橘夫人は、千秋を迎えに出た後は、家政を取り仕切るお手伝いの亜子さんに後を託して、さっさと奥へ引っ込んでしまった。

「お食事はいかがなさいますか?……奥様はご気分がすぐれず召し上がられないそうです。千歳(ちとせ)さまはまだ帰宅されてません。」

「……では、3人でいただくとしよう。……食事を応接室に運んでください。」


普段の夕食は、長テーブルのあるダイニングで食べることになっている。

大きすぎるテーブルは会話には不都合だらけだ。

応接室の、ソファセットなら手を伸ばせば互いに手が届く範囲に座ることができる。


「アレルギーや、苦手なものはございますか?」

亜子さんにそう聞かれて、雅人は首を傾げた。

……特にない。

この半年、そんな贅沢なことを言ってられなかった。

母親が出て行くと、途端に食事や洗濯に支障が出る。

まだ幼い雅人には、栄養バランスよりも、とにかく三度三度、きっちりお腹を満たすことが課題だった。

「ありません。……たぶん。」

死活問題なので、贅沢は言ってられなかった……。


「では、私は汗を流して、着替えて来ます。……雅人くんの着替えも、今、準備してますので、届いたらお風呂に入って、さっぱりしてください。」

「……あの!……着替えより……リコーダーを……、お借りできるリコーダーを……」

雅人の瞳がキラキラしていた。

後でいいかと思ったが……。

千秋は、ふっと笑って、うなずいた。

「そうですね。いらっしゃい。……今なら娘がチェンバロのレッスンをしているでしょう。ちょうどいい。紹介しますよ。」

「チェンバロ……。」

自宅にチェンバロがあるなんて、雅人の感覚では信じられないことだった。