何度でもあなたをつかまえる

アレンジなしで一般的なメロディーを軽く吹いてみせたのは、ブランデンブルク協奏曲第2楽章アダージョ。

ゐねは、うなずいて見せて、調音を始めた。

どうやら雅人は収集した楽器を飾っておくだけでなく、ちゃんと調律して、演奏しているらしい。

大きな狂いのない使い込まれた名器は、気難しさも変な癖も感じさせない優しい音を紡ぎ出した。


視線が絡み合い、雅人がゐねにうなずいて見せてから、オーボエを歌わせた。

かつてはまどろっこしいとすら感じて、勝手に超絶技巧のアレンジを加えることもあったアダージョを、今は悲哀を込めて美しく音を震わせて泣かせる。

続いてゐねがヴィオリーノ・ピッコロで歌い継ぐ。

大事なことを敢えて避けて会話しているかのような、そんな掛け合いが続く。


……何となく……笑えてきた。

過去に何があったか……もちろん犯した罪も、罪悪感も消えない。

でも、それがいったい何だというのだ。

こうして楽器を通して、父と娘の心は対話を果たした。

償って余りある親子の空白は、心を込めて奏でる一音一音があっという間に埋め尽くしてしまった。


……気持ちいい……。

ゐねは、初めてそう感じた。

かゆいところに手が届く……という感じだろうか。

自分よりも技術もセンスもある目の前の男が、父親だということを誇らしくすら感じた。


雅人もまた、驚きを禁じ得なかった。

かほりと演奏するときのような恍惚感はない。

しかしこの体内を満たす慈愛と幸福感は何だろうか……。

かほりが雅人の音楽の女神なら、ゐねは音楽の天使だな。

しみじみと、雅人は幸せを噛みしめていた。




「次は……ママも一緒にトリオ・ソナタをやりたい。」

最後の一音の余韻をたっぷり楽しんだ後、ゐねは雅人にそう言った。

雅人は目を見開いた。

歳を経てかつてより奥目がちになったが、それでも美しい杏仁形の目がゆらゆら揺れ始めた。

ゐねは肩をすくめて、言葉を継いだ。

「ママはプロだし、……パパもジャンルは違うけどプロで……ステージでたまに演奏してるし……私のレベルが一番低いのね。口惜しいけど……もっと練習しないとね。」

「充分だよ……。ありがとう……。」

雅人は、それだけ言って、天を仰いだ。

神に感謝しているのか……涙がこぼれないように上を向いているだけなのか……よくわからないけれど、ゐねも油断すると泣いてしまいそうだった。