甘い恋じゃなかった。






「もうっ!ちょっとは自分で歩いてよ〜…」




運転手の鋭い視線に見送られ、私と牛奥はタクシーを降りた。



「うう」と苦しむ牛奥がいつ吐くか分からないという恐怖に苛まれながら、なんとか牛奥を引っ張り、歩く。


部屋の前に着いたが、ピンポンを押しても中からはなんの反応もなかった。あれ、おかしいな。いつもなら、桐原さんも流石に帰っているはずの時間なのだが。


「もう、こんな時に〜…」



仕方なく牛奥を片手で支えながらなんとか鞄の中から鍵を取り出す。



開けて、中に入るやいなや、牛奥がドサッと床に倒れこんだ。




「うわっ!」




引きずられるようにして、私も一緒に倒れこむ。腰を強打した。痛い。もう色々と最悪だ。



とりあえずここで吐かれるのだけは御免である。なんとかトイレまで連れていこうと、牛奥の肩に手を置いた瞬間、逆に肩を掴まれ、ドン、と靴箱に押し付けられた。


今度は背中を強打した。痛い。もう何だってんだい、こんちくしょう!とどこかの江戸っ子のように怒鳴り散らしたい気分だ。



「もう、何!?はやく立って…」


「小鳥遊」


「ちょ、やめてよね!?この体勢で吐くのだけはほんとに勘弁…」


「小鳥遊。俺の。俺の話きいて」


「だから何…」



そこではじめて牛奥の目をちゃんと見て、ふ、と思わず口を噤んでしまった。



だって、今まで見たことのない、すごく切なそうな、切羽詰まった目をしていたから。



「…俺」



牛奥の、私の肩に置いた手に力がこもる。


なんだか空気が熱い気がした。





「俺…小鳥遊のことが」




その時、玄関の扉が勢いよく開いた。



外の空気がなだれ込んできて、先程まで立ち込めていた熱さがスッと消えていくような気がした。



コンビニの袋を下げた桐原さんが、玄関に座り込んだままの私たちを、不審そうな瞳で見下ろしている。




「お前ら…そういうのはせめて部屋に入ってからしろよ」




…なんだか盛大な勘違いをされている気がする。