榊原邸を訪問した深夜、眠りの森のキッチンは「ホウホウ!」と相槌を打つフクロウの大合唱に包まれていた。

フクロウは言わずもがな、金成、薫、登麻里だ。
桔梗は桃花を寝かし付け、そのまま夢の中へ突入した。

「あの爺さんまで現れたのか!」

金成は額に手を置き、深く溜息を付く。

「榊原市之助って、あの大富豪の? アメリカの経済誌『フォーブス』が発表する『世界長者番付』に常時上位にランクインする? 確か……偏屈、変人、そして、ドケチで有名よね」

ヘーッ、そんなに有名な人だったのか、と琶子はビックリしながらも、薫が付け加えた『確か』の後の言葉に違和感を持つ。

「偏屈、変人、どケチ? そうですか? そうは見えませんでしたが……」

陽気に笑う市之助の顔を思い浮かべ、首を傾げる。
金成はそんな琶子を複雑な面持ちで見つめ、溜息交じりに呟く。

「あの爺さんが現れたとしたら、一波乱あるな」
「どういう意味でしょう?」

地獄耳の登麻里は、それは聞き捨てならない、と眼鏡奥の瞳をギラリと光らせる。

金成は、しまった、と舌打ちし、渋々口を割る。

「とにかく破天荒なんだ、あの爺さん。俺たちが想像もできないほどにな」
「フ~ン、何か意味分からないけど、面白そうな人ね」
「興味深いわ。逢いたい! 妄想が掻き立てられるわ!」

薫と登麻里は悪代官並みの笑みを浮かべ、顔を見合わす。

金成は、知らぬということは恐ろしく幸せなことだ、と立ち上がり、だから避けていたのに……と風子との約束を思い浮かべる。

『義父は悪い人じゃないけど、台風の目なの。凡人が巻き込まれたら否応なく崩壊するわ』

そう、市之助は悪い人間ではない。
だが、市之助という人物を知っているからこそ、風子の云わんとすることが痛いほど分かった。

市之助に目を付けられれば、その渦に巻き込まれたも同然。
彼に逆らえる人間など、この世にいない。

『琶子は、まだ幼いわ。彼女は、まだたくさん学ぶべきことがあるの。籠の中の鳥となり、個性を潰され、人格を歪められ、何もできないお人形にはしたくない』

市之助が関われば、きっとそうなるだろう。

富豪の愛という慈悲を受け、傲りという勘違いをし、気質や性格が歪み、その後、人格も生活も破綻……そんななれの果てを金成はたくさん見てきた。

市之助は言う。「金に人生を左右されるのでは、まだまだ人間ができていない。だが、破綻し這い上がった者は真の『金』を知る。だからそれも学びだ」と。

しかし、殆どの者がそこから這い上がれず、地に落ち、破滅した。

『その時がくるまで義父との対面は避けさせて。彼女が真に力を付けるまで……至極の愛に目覚めるまで……そして、義父の似非愛を拒絶できるまで』

その『時』が『今』なのだろうか?
台風の目を跳ね返すだけのパワーを持ったのだろうか?
それとも……至極の愛?

イヤイヤ、と金成は頭を振り、額をペチペチと二回叩き、とにかく出会ってしまったのなら仕方ない。こうなったら、もう祈るだけだ。琶子の運命が幸深いものでありますように……と。

金成は深く息を吐き、「もう寝る!」とキッチンを出る。

背中の方から「おやすみなさ~い」と琶子の無邪気で明るい声が聞こえ、金成は、更にもう一つ盛大な溜息を付いた。