「あのさぁ、私、琶子に救われたのよね」

その夜、登麻里はワイングラスを傾けながら、いつものように管を巻き、薫に絡んでいた。

「こう見えて、私、良家の奥方だったのよぉ」

ケラケラ陽気に笑い、出会いから八年を経て、金成以外知らなかった身の上話を登麻里はした。

「でもね、旦那は裏表ある二重人格者だったわ。外面紳士、内面悪魔。彼ね、女癖が悪くて、すぐ暴力を振るう最低男だったの」

吐き捨てるように言うと、グラスに残ったワインを一気に飲み干した。

「……私ね、その暴力のせいで大切な命を亡くし、二度と得られない体になったの」

話を聞きながら薫は、可哀想とか気の毒とか、そんな安っぽい気持ちより、不謹慎だが、登麻里をカッコイイと思ってしまった。
たぶんそれは、彼女が過去と向き合い、自分の中で全てを昇華させ、颯爽と前を向き歩んでいるからだ、と思った。

「同じ境遇の琶子に出会った時、彼女を失った天使の生まれ変わりだと思っちゃった」

ウフフと登麻里が微笑む。

「でもね、あの子は子猫のように爪を立て、私を威嚇したの」

そう言えば、と薫も思い出す。
今でこそ、マシだが、あの頃の琶子は初対面の人に対し警戒心が強く、なかなか懐かなかったな……と。

「その様子が逆に、私の母性をくすぐったのね。嫌がるあの子の世話をし、心配をし、あの子に寄り添ったの。そのうち徐々にだけど、笑顔を浮かべるようになったわ。そして、あの子の笑顔を見るに従い、私も笑えるようになったの」

ちなみに、登麻里と別れた元旦那は、その後、何故か破産し没落したらしい。
当時、破産の陰に、市之助の存在が有るとか無いとか、実しやかに囁かれていたようだが、今もってその真実は分からない。

「琶子はねぇ、私を再生させてくれたの……」

ワイングラスを高らかに掲げ、登麻里は叫ぶ。

「琶子、サンキュウー!」

大袈裟で芝居染みているが、照れ隠しなのだろう。
掲げたグラスに青白い月の光が反射し、冷たく美しい輝きを放つ。

その煌めを見つめながら、私も同じよ、と薫は呟き、バレエダンサーとして華々しく活躍していた遠い昔を思い出す。