僕が通う大学の入学式当日は騒がしい。新入生のサークル勧誘で桜の花びらが舞い散る正門周辺は生気に満ちた学生で溢れかえる。これは僕が大学に入るずっと前から毎年続いている風物詩だ。しかし、そんなものはサークルに属していない就職活動真っ盛りの四回生には全く関係がない。蚊帳の外だ。
「いいよな~混ざりてぇな~」
なんとか留年を逃れ、一緒に就職ガイダンスに顔を出していた涼人が羨ましそうに人だかりを見つめる。
「僕はあんな人ごみ入りたくないよ」
「たまには羽伸ばしてぇ!」
スーツに身を包んだ涼人が背伸びをする。パンツの内側にしまっていたワイシャツがだらしなく外にはみ出た。
「春休みの間、結構羽伸ばしてたじゃないか」
「講義、就活、これから卒論もある。こんなんじゃいくら羽伸ばしても伸ばし足りねぇよ!」
ネクタイを緩め、ワイシャツのボタンを外し、涼人はどんどんだらしない格好になっていく。
「まぁ、気持ちは分からないでもないけど……」
「だろ! じゃあ伸ばしに行こうぜ! 今日はもうなんもないんだろ?」
「どこに?」
「新歓に乱入!」
涼人はそう言うと僕の返答を聞かずに人だかりへ「ひゃっほ~」と突っ込んでいった。僕は後には続かず、遠目から人だかりを眺めた。
しばらくすると涼人がスーツを更にくたくたにして帰ってきた。だが、それに反して涼人の表情は水を得た魚のように生気が漲っている。涼人の手には二枚の紙が握られていた。
「今日新歓するサークルの紙貰って来た!」
「新歓って新入生歓迎会のことだよ?」
「いいんだって。こんなもんは楽しく飲めれば何でもいいの。サークルとか関係ないの。話は通しといたからさ」
涼人の人脈は広い。何十とあるサークル一つ一つに、一人くらいは知り合いがいても何ら不思議ではないと思えてしまうほどに広い。涼人も僕と同様に正式に入っているサークルはないが、全てのサークルの準メンバーだとも言ってもいいかもしれない。だからこんなことがあっても僕は驚かない。
「僕も行っていいの?」
「話は通しておいたって言ったろ。お前もいろいろ溜まってんだろうから、パァっと行こうぜ、パァっと」
「じゃあ……お言葉に甘えようかな」
「よし! んじゃ、詳しいことはこれに書いてあるから」
涼人はそう言うと二枚のうちの一枚の紙を僕に渡して、再び生気漲る人だかりに飛び込んでいった。僕は今日、オカルト研究サークルという、ほとんど飲み会サークルと化している新歓に参加することになった。
オカルト研究会には僕の知り合いはいない。この居酒屋を貸し切った新歓コンパには四回生も参加しているらしいが、まともに話したことのある人は涼人以外にいなかった。もちろん下の学年にもいない。さっきまでは涼人も一緒にいたからそれなりに盛り上がっていたが、酒に酔ってテンションが上がった涼人は今、最初にいた席から随分と遠くの席で騒いでる。こんな時、僕は涼人のコミュニケーション能力を羨ましく感じてしまう。僕は基本的に人見知りだ。人が多いと余計にそれを発揮してしまう。
涼人に誘われて、自分の意志で参加したとはいえ、僕はこの新歓に参加したことを若干後悔し始めていた。学び舎を共にする者たちと言っても、ほとんど知らない人しかいない空間でお酒を飲むのはどうも落ち着かない。形だけでも主役である一回生ならまた違ったかもしれないが、四回生であり、全くの部外者である僕はどうしても疎外感を感じてしまう。
外の空気を吸おうと席を立つ。
出入り口の引き戸を開けて年季を感じさせる黒く汚れた暖簾を潜る。昔ながらのという言葉が似合う居酒屋の扉の横には二人掛けのベンチが一脚置いてあった。そして、そのベンチには一人の女の子がちょこんと座っている。目が合った。縦長の大きな目にスラリと流れるような黒髪が特徴的な綺麗な子だ。一人でいるところを見ると、この子も僕と同じ理由で外に出てきたのだろうか。
「休憩ですか?」
女の子が話しかけてきた。整った顔をしているからだろうか、僕の心臓がピクリと反応する。
「うん、君も?」
「はい。新入生の方ですか?」
「いや、四回生だよ」
「座ったらどうです?」
そう言って彼女はベンチをトントンと指で突いた。僕は「じゃあ」と彼女の隣に腰を下ろす。
「新入生?」
「どうでしょう。形式的にはそうなのかもしれません」
「つまり浪人生ってこと?」
「いいえ、一応、心理学部を現役主席合格しました」
「ほんと!? そりゃ凄いや」
こんな女の子が、と言ってしまえば語弊が生まれてしまいそうだが、容姿に恵まれたこの女の子が現役主席、しかも全国屈指の偏差値を誇る心理学部の主席には見えなかった。
「お名前は?」
「僕は文元伝達って名前。僕は文学部だからあまり接点はないかもだけど、以後よろしく」
「伝達さんですか。なんだかしっくりきます」
「しっくりくる?」
「はい」
僕の見た目と比較してという事だろうか、名前がしっくりくるとは初めて言われた。何にしても慣れない表現で不思議な感覚だ。
「君は?」
「送葉です」
しっくりきた。何故だろう。彼女が僕にそう言ったからだろうか。初めて会って、初めて名前を聞いたのに、彼女が送葉であることにしっくりきた。彼女は送葉でないといけないような、そんな気がした。不思議なこともあるものである。
「送葉……さん」
「はい。伝達さん」
彼女が僕の顔を見て微笑む。麗しい、そう感じた。
居酒屋の中から聞こえるざわめきから新歓がそろそろシメだとを知る。結局、僕と送葉さんは新歓が終わるまで外でずっと話してしまった。
僕はアルコールを摂取してテンションが上がることは滅多にないけれど、僕だってお酒が入っている。お酒の力を借りなければ言えないことが我ながら情けないが、皆が店から出てくる前に僕は送葉さんに言いたいことができていた。
「送葉さん」
「はい」
「今度二人で遊びに行かない? 今日話してて楽しかったからさ。もちろん迷惑じゃなければ」
酔いが醒めたときに後悔するんだろうなと思いながらも、僕は送葉さんをデートに誘った。今日初めて会ったのにも関わらず、いきなり次の話に持って行くのは奥手な僕には難易度が高いことだったが、今日を逃してしまえば次はないかもしれない。
「いいですよ」
「え……」
「いいですよ」
すぐに返答が返ってきたことに、逆に戸惑ってしまった。既に彼氏がいるかもしれない、内心では僕のことを煙たがっているかもしれないといろいろとネガティブな思考を巡らしていたため、決心するまでに結構勇気が必要だったのに、杞憂で終わってしまったことが逆に拍子抜けだった。
「本当に?」
「運命を感じたので」
「う、運命!?」
拍子抜けどころか突拍子のないことを言い出した。運命を感じるなんて大それた言葉を初対面の女の子に使われるとは予想できる筈がない。
「はい。女の感とでもいえばいいのでしょうか。いいえ、女の感と言うのは少し違うような気がします。そうですね~、私の感と言えばいいのでしょうか。何にしても直感的なものです」
「そうなんだ……」
「伝達さんは感じませんでした?」
「ごめん。そこまで考えてなかったよ」
「鈍感なんですね」
初めて会った年下の新入生にダメ出しをされてしまった。少しヘコむ。
「なんか、ごめん」
「気にしないでください」
送葉さんがここまでの会話のどこで運命的なものを感じたのかは見当がつかない。いや、僕からデートに誘ったのだから、僕も少なからず送葉さんに運命のようなものを感じていたのかもしれない。そういうことにしておこう。そうしておいた方がロマンティックではないか。
「伝達さんは運命を信じますか?」
送葉さんは空を見上げて靴を脱いだ足をパタパタと遊ばせながら僕に訊く。
「そうだね。今はあればいいなと思うよ」
これもお酒の悪戯だろうか。僕の口は今日、とても調子に乗っている。