運命が偶然を装って私に囁く。何かが始まる、そんな気がする・・・ドキドキ。

「美都、人が前通るよ、少し引っ込みな」
 お弁当を食べるために広げていたランチマットと、自分の足を無理矢理折りたたんだ。今日は私、小山美都の所属している藤山女子高校(通称藤コー)バスケ部の練習試合で、隣の市にある沢月高校(通称沢コー)に来ている。近隣の高校が集まっての合同練習試合だ。午前の練習試合が終わって、体育館の二階の狭い通路で一列に座ってチームメイトとランチタイム・・・だったってとこ。私たちの前を沢コーの男バスジャージ集団が通っていく。その男子集団をまじまじと見上げた。女子高に通っていると、練習試合でもない限り同年代の男子にはお目にかかれない。
やっぱり男子って大きい。私の二倍くらいあるんじゃない?二倍っていうと、三メートル?巨人じゃん。ってなことを考えながら過ぎ行くジャージの足元についてる名前のタグを見ていたら、「纜繕」という全くもって私の学力じゃ読めない名前が近づいてきた。
そして見上げた。その人を、その目を。一瞬、目が合った。澄んだ海のように深い、その瞳の色。危なく吸い込まれてしまうところだった。そのくらいきれいで引力のある瞳だった。その人は瞬き一つして通り過ぎた。
世界がぐるぐる回る。何?何なの?心臓にものすごいスピードの塊がぶつかっていったような感じ。私、どうしちゃったんだろう。ドキドキドキドキ、心臓が変な動きをしている。目で追うと、その人はもうどこへやら。
「・・・と、美都っ、おいっ」
「ギャアッ」
「ぅおってやんでぃばろちきしょうめぃ」
 驚いて声をあげたら、クラスメートの鈴木春奈(通称ハル)が、江戸っ子なんだか田舎の族なのかよくわからない言葉を発した。
「ハルー、驚かさないでよ」
「驚かされたのはこっち。もうシュート練習始まっているんだから弁当しまいなよ」
「うん・・・」
「どうしたのよ?」
「沢コーの男バスってさ、」
「沢コー?あっちでシュート練習してるよ」
「あの人たちって、ジャージ、みんな一緒?」
「バスケ部で共通のやつでしょ、外で練習してたバレー部は違うジャージだったし」
 ハルは手すりに身を乗り出して、今にも飛び降りそうな格好で私を見下ろしている。
「さっきね、苗字?名前?どっちだかわかんないけど、難しい漢字の人がいたの。あそこにいる人たちの中にはいない、みたいだけど」
 どう説明していいかわからずに答えた。
「難しい字ってどんな?」
「糸偏に、えーっと、巨人の巨みたいなのと、見るっていう漢字が合体したヤツと・・・、」
「はあぁ?そんな漢字あるの?本当に日本人?中国人じゃないの?」
「違うよ、絶対日本人。どっちかっていうと西洋系に分類されると思う」
「美都、ハル、早く降りてきな!」
 チームメイトが呼んでる。午後イチで試合だ。しかも沢コーと!
「中国人だったら留学生かな」
「だから違うよ、ハル!」
 ウオーミングアップを終え、藤コーVS沢コーの試合開始。沢コー女子とは、二カ月前の地区大会で三点差で負けて準決勝に出られなかったというアイタタタな因縁があって、勝手にライバル心むき出しの炎メラメラモード。試合は白熱。まるで公式試合並み。
 でも、でも。私はどうしたって試合コートと網で仕切られた向かい側のコートが、気になって気になって気になって、仕方なかった。強い力で引き寄せられるみたいに、藤コーを応援していても、気付くと向かい側のコートを見ている自分に気付く。さっきのでっかい男の子がコートに出てる、から。多分。だってその子ばっかり目で追っちゃう。
あ、もう少し、うわーすっごい、あのディフェンスかわした・・・あっやった、入った!聞こえてくる大きな歓声。「いいぞいいぞランゼンナイスシュート」の連続コール。あの漢字、ランゼンって読むんだ。苗字かな、名前かな。響きは何となく異国風。
「何ぼーっとしてんの、タイムアウトでたよ」
 マネージャーに肩を叩かれ、急激に我に返った。いかんいかん、試合中。
「今日の美都、変だったよ?」
 沢コーからの帰り道、混みあった電車の中。チームは駅で解散。ああお腹すいた。
「あれと関係あるの?あの、何か言ってたじゃん・・・中国人がどうのって」
「だーかーらー中国の人じゃないんだってば。あ、でも漢字の読み方はわかったよ。ランゼン、って聞こえた」
「へー、やっぱ外人?」
「ハル見なかった?沢コーの背の高い男子」
 私が両腕を伸ばして長さを表そうとすると、
「男はみんな高いって」
 ハルはチラリと横目で私を見た。
「お弁当を食べてた時だよう。前通ったじゃん、集団がさあ」
「そうだっけ?もー私が食べ物を前にすると悟りを開いちゃうって知ってるでしょ?」
 試しにチョコレートをハルの前に差し出してみた。よだれがたれた・・・何も言わないのに私の手から勝手に奪って・・・食べた!
「おいしー、やっぱチョコは明治に限るわ」
「本当に無心になるんだねーハルは」
「だから言ったでしょ?で、何だっけ、」
「だから・・・だからなんだろ」
 そういえばその人がどうかしたんだっけ?話してもいないのに。
「さーてーはー惚れたなー」
「よくわかんない。惚れたの?私」
「惚れた惚れたっ。惚れた腫れたのケンカはお江戸の花でぃ」
「何?何が江戸の鼻なの?」
「てやんでぃべらちくしょー」
 ハルが狭い空間でドジョウすくいを始めちゃって、私は参加した方がいいのか悪いのかわからず、とりあえず手拍子、打ってみた。
「ハル、もう駅だよ、下りようよ」
「うん、下りよう。で何の話だっけ。うわーっドア閉まるなー」
 そして次の日。
「ハルー!」
「なんでぃっ」
 私たち、同じクラス。でも、大声で呼び合う。しかも席も隣同士。
「やっぱり忘れらんない、あの人、昨日の人」
「え?誰そーれオーソーレミーヨー」
「ほら、あの難しい人」
「ランドセルさんね。アメリカ系だっけ?」
「違うよ、ランゼンさん」
「おっ今日もきれいだねっ。活きのいいの入ってるよっ」
 クラスメートは、そりゃあ、いつものことだと思って気にも留めないさ。ハルのせいで机も椅子もガタガタいってるさ。お菓子の袋やジュースが飛び散ってるさ。
「でね、」
 私は慎重に、声のトーンを下げた。
「やっぱり私ね、もう一度言うけどね、忘れられないの」
「沢コーなのは確かなのね?」
 ハルの髪がゆっくりと揺れる。私の憧れの長い黒髪。色の薄い、猫っ毛の私とは正反対。しかもハルってば、ちょっと変だけどかなりの美人。雪みたいに肌白いしモデル体型だし、目はおっきくて二重でまつ毛はマスカラいらず。だから私は時々見とれちゃうんだ。
「ハルってきれい」
「キャッはづかちい」
 ハルはぺシ、と私の肩を軽く叩いた。その反動(?)で、なぜかハルがブリッジをするようにのけぞってそのまま床に転がった。ハルったら、パンツは白ね。
「なのになんで彼氏いないの?」
「できんのだよ、キミィ」
 ハルはうんしょと起き上がりながら言った。
「ヘーエ。世間のヤローどもはどこを見てほっつき歩いてらっしゃるのかしらね」
「ありがとう、ありがとう、友よ!」
 ハルは私の肩をガシっとつかみ、前後左右に揺すぶった。でももう慣れっこな私は普通に続ける。
「イヤイヤ、それでね、さっきのことなんだけど、どうしたらいいかな、私」
「何が?」
「もーランゼンさんのことだよ。彼、すっごいバスケうまいの。顔も・・・うーんと、千代の富士に似ていたなあ。細長くってね、髪の毛なんて風もないのになびいちゃってね」
「千代の富士って、いつの時代の力士よ。現役時代を知っている人の方が少ないわよ。しかも力士で細長くて風もないのに髪の毛がなびくってどういう人よ」
「学校違うのにどうしたらいいかなあ」
「うーん、よしっ、ここは私が一肌脱ぐぞい」
「あー・・・服、脱がなくていいから」
ハルが沢コーに偵察に行っているから、私は一人きりでの帰宅と相成りました。
もうすぐ十二月。すでにコート、マフラー、手袋、耳あて着用の私。冬は苦手。空はどんより曇り空が増えるし、風は冷たくなるし、植物はみんな茶色になっちゃうし。ほら、もうこんなに日が短くなった。
夕日が沈んだ後の、微かなダークオレンジの余韻が消えるより早く、空を上質なビロードが覆ってゆく。吐く息が白い。
あ、まだ月になったばっかりのお月様だ。細い細い三日月だ。ランゼンさんに似てる。忘れられないあの瞳。手の届かないお月様みたいに、高級な感じがした。どんな人なんだろう。でも、どんな人でもいいや。
 道端の石ころを蹴ったら、あることに気がついた。それって結構重要なこと。つまり・・・ランゼンさんがハルに惚れちゃったらどうしよう、ってこと。あわわわわ。大変大変大変。  
私は急いでもどうにもならないのに、あたふたしながら道を急いだ。

「おはよー、美都っ?うわっなになになに」
 私は教室に入ってきたばかりのハルをひきずって屋上へつれていった。屋上は北風がビュウビュウ吹いていて、容赦なくスカートと髪の毛を巻き上げた。
「うわぁさむぅ。何なのよぉ」
「昨日、どーだった?」
「きょ、教室でもいいじゃん」
 ハルは寒さのあまり歯がかみ合ってない。私は寒さよりももっと別のものにせかされて、言葉を放った。
「会えた?」
「会えた会えた。ふゅえ~」
「ハルはどう思った?」
「あ、あたひ?千代の富士に似ているかどうかはわからなかったけどさ、なかなかかっこよかったよよよよ」
「・・・やっぱりーうわーん」
 やっぱりカップル成立だあぁ~。そんな急に言われても~。
「何よ~も~わけわかんないよ美都~」
ハルが私の腕をぐわっとつかんで、屋上の入り口近くの給水塔の裏っかわにつれていった。座って身をかがめると無風状態になった。目の前も背中も、コンクリートのねずみ色。
「どうして泣くの」
「カクカクシカジカ」
「なんだ、そんなこと心配してたの。私のタイプじゃないから安心してよ」
 ハルがにっと真っ白な歯を出して笑った。なんて力強い笑顔。
「ハルのタイプって?」
「まず、力こぶができないとダメ!身長は百九十センチで体重は八十キロ。金髪で目がでかくて鼻が高くて英語ができて名前は譲二」
「アメリカ人?」
「日本人よぉ、もおやだなあ美都は」
「じゃあ安心♪ところで、さっきの続き」
「美都はゲンキンなんだからー。うーんとね、実はあっちが急いでてゆっくり話聞けなかったの。ごめんね」
「うううん、いいのいいの」
「だから好きな女の子のタイプだけ聞いてきた」
「ぅわあお。素敵!」
「ロングヘアーの子だって」
 ん?ん?ハル何か言ったかなア。風が強いから聞き間違えたかなア。今日のお昼ご飯は何にしようかなア。
「コラコラ現実逃避しないの」
 ハルがよしよしって頭を撫でてくれるけど、髪の毛は伸びない。私、髪の毛短い。バリバリのショートカット。イコールランゼンさんのタイプと正反対じゃん。
「でもさあ、イマドキ長髪がタイプって古風だよねえ。ま、見た目じゃないって」
「いや、ハル、見た目は大事よ!」
 私は立ち上がって握りこぶしで空を、もといコンクリートをあおいだ。