高校三年生の一年間、真面目に〝受験生〟に勤しんだ結果、私は私立の文系大と、美大に通った。

双方の間でさんざっぱら迷った挙句、やはり絵が、と、美大に進学し、今に至る。

あの初夏から、もう6年、私は、卒展会場に立っていた。

私の人生の一つのけじめとして、私は、卒展会場のスタッフに志願していたのだ。

6年前、自分の弱い心としかと向き合うのに手一杯だった私は、周囲にちっとも目を向けられていなかった。

美大への入学と同時に、東京に出て来てからは、

ボランティアでも合コンでも積極的に参加し、ヒトに触れ、関わり、絵を描いた。

その影響か、一ノ瀬云はく、感情の幅が広がって、どこか籠りがちだった私の作風はかなり変化したらしい。

アッという間に過ぎ去った四年間、私は、成長できたのだろうか———

儚い時の流れに感傷に浸っていたところ、

私は、私の卒作のキャンバスを前にして、人目を忍びながらも咽び泣く年増の女性に気がついた。

私は、その女を冷淡に見つめる。

あの人が私の絵を前にしてむせるように泣くのは、絵描きとしてか、それとも、母親としてか。

どちらにせよ、私は、きっと、もうあの人を〝お母さん〟とは呼べない。

私の手を離したのは、あの人なのだから。

気がつくと、大迷宮のど真ん中に入り込んで泣きべそをかいているような、私の手を。

そして、そんな私をひいて導いてやらなきゃならないことを、それが、親として背負わされた義務だってことを、あの人は、ちゃんと知っていたはずだ。

それでも、私の手を握ってられなくなったのは、あの人が多くのものを捨て置いて母親になりきれなかった一人の女で、一人の絵描きであったから。

私も、そんな事、とっくのとうに気がついていたはずだ。