第一章 桜花 ④

「先生さようなら!」
 五限後、放課のチャイムが鳴り響きクラスメイトたちが一目散に教室から飛び出してゆく。いつもなら、私はそんな彼らを羨ましそうに見届けながらゆっくりと教室をあとにするのだが、今日は違った。
「蒼衣、早く早く!」
「わ、美桜待って」
 私は慌ただしくランドセルに荷物を詰めている蒼衣の手を引いて、他のクラスメイトたちと同じように駆け出した。
なんてったって、今日は蒼衣と遊ぶ日だから。
 真っ赤なランドセルを背負った私とほのかなローズピンクのランドセルを背負った蒼衣が肩を並べて町へ向かう。時刻は一五時半頃で、ちょうど肌に照り付ける太陽が西日に変わって少しだけ涼しくなっていた。遠くの方に目をやると、深い緑の山々が模型みたいに連なってある。胸を躍らせながら学校からの坂を下ってずんずん前に進む私たちは、まるで本当に二人だけの世界にでも迷い込んだかのようにどうしようもなく二人きりだった。でもこの時私たちは少しも寂しいなんて思っていなかった。
「蒼衣、楽しそうだね」
「うん、楽しいよ!だって、友達とこんなふうに遊びに行くの、初めてだから」
 本当に心から嬉しい、というような声の調子で蒼衣が答える。それを聞いた私も嬉しくなって鼻歌を歌いながら前に進んだ。
 坂を下りきって少し歩いたところで人通りも多くなり、私たちは桜木町というところに着いた。私たちの家からそんなに遠くもなく、小学生もここに来て遊んでいることが多い。
「桜木町着いたね」
「今日はいっぱい遊ぼ!」
「うん!」
 私たちははぐれないように互いに手をとって駆け出した。
 桜木町には特別大きなデパートなどはないけれど、雑貨屋さんや食事処が立ち並んでおり、ここに来た人は歩きながら様々な店に入って買い物を楽しむことができる。私たちも多くの人と同じようにいろんな店に入っては可愛らしい小物、おいしそうなお菓子を見て回った。そうして一時間ほど経った時、私はある小物屋さんでいいものを見つけた。
「ねぇ蒼衣、このストラップ可愛いよ」
「あ、ほんとだ。うさぎさんだね」
 蒼衣の言う通り、それは縮緬でできたウサギのストラップで、タグを見ると「友情運アップ」と書いてあった。
「友情運かぁ、私たちにぴったりじゃん。ね、蒼衣、これ一緒にお揃いで買おう」
「え、買いたい…けど、私お金ないし…」
「大丈夫、お金なら私持ってるから」
 私はそう言ってこっそり持ってきた小銭入れをランドセルから取り出した。小学生が学校にお金を持って行くのは禁止されているが、私は今日の放課後のためにばれない程度のお金を持ってきていた。
 蒼衣もまさか私がお金を持ってきているとは思っていなかったらしく、「まあ」と言って驚いた。
「美桜ったら、不良なのね」
「えー、何よその言い方!」
「だって本当じゃない」
「そんなことないもん。いいじゃん、これでウサギのストラップ買えるんだから」
「…そうだね」
 さっきまで頬を膨らませていた蒼衣も、私の言い分を聞いてふふっと頬を緩めた。
 私はピンクの、蒼衣は白のウサギのストラップを買うと、早速それを袋から取り出して、
「これ、どこにつける?」
「うーん、そうねぇ…。あ、そうだ」
 蒼衣は妙案を思いついたというように誇らしげな顔で私のストラップを受け取ると、それをランドセルのフックに引っ掛けた。それから自分も背負っていたランドセルをおろして自分のぶんのストラップを同じように引っ掛ける。
「これでいつも一緒だね」
 ランドセルを背負い直してにっこりと笑う彼女を見ていると、私まで嬉しくなって笑った。もう前みたいに一人で寂しそうに笑う彼女はどこにもいない。彼女は本当に笑っていいるから。
 それからまた私たちはウィンドショッピングを楽しみ、学校のこととか、家族のこととかいろんな話をした。蒼衣は小さい時に家族で遊園地に行った思い出を生き生きと話してくれた。そんな蒼衣を見ていると、彼女が本当に家族を大切に思っていること、世間になんと言われても父親を慕っていることを身に染みて感じた。
 そうして話をしているうちにすっかり日も暮れて、帰らなければならない時間になった。
「そろそろ帰ろっか」
「うん、そうだね」
 私と蒼衣の家は近所を流れる青(せき)鳥(ちょう)川(かわ)という川を挟んでそれぞれ反対側にあるので、私たちは青鳥川の橋の手前でお別れすることにした。
「今日はありがとう」
 蒼衣が私に言った。
「私の方こそ、楽しかったよ」
「ストラップ、大事にするね」
 それから、と言って蒼衣が私の右手の小指と自分の左手の小指を絡ませる。
「指切りしよう。私は美桜と、ずっと一緒にいます」
 普段の蒼衣とは違う、大人っぽい声で彼女がそう言った。私もつられて右手の小指に思いを込めて、
「私は蒼衣を信じています」
 と、ちょっと照れ臭いことを言って蒼衣と別れた。歩きだしてランドセルのウサギが揺れるのを感じると、まるで蒼衣と一緒にいるみたいな気がして心があったかくなった。
 蒼衣も、同じように感じてくれていたらいい。
 そうして私も蒼衣も家に帰り着いた時、きっと満たされた気分になっているだろう。