「…お姉さん、それはダメでしょ。やり過ぎだって。」

抱きしめられるような体勢で、心臓が跳ね上がる。あまりにも近距離で囁かれた声は低く、唸るようだった。

「…放してよ。」
「だめ。深呼吸して、落ち着いてから。」

首筋に吐息を感じる。
私は不本意ながら、声に従った。

ゆっくりと深呼吸すると、私のじゃない、甘ったるい煙草の匂いがした。

徐々に冷静さを取り戻すと、相手に対する不満が込み上げてくる。

「…見てたんなら、助けてくれればよかったのに。それとも、グルだった?コイツ側の。」

私は鼻を啜った。
自分で言っておきながら、確実にそうであるような気がした。深夜に何人も出歩いていて、偶然出会うなんて稀なことだ。
歓楽街ならまだしも、ここは閑静な住宅街の通りだし。

今の体勢から自力で抜け出すのは、どう考えてみても不可能だ。

あーあ。私も運がない。

私は早々に逃げ出すことを諦めた。
体から力を抜き、背後にある体に凭れかかった。息を飲むのが聞こえた。

どうぞご自由に。
目を閉じたらどうでもよくなった。
死んだっていいさ。だってやりたいこともなにもない。

「グルとか、マジでいってんの?こんなダサいやつと知り合いとかないんだけど。」

「あれ、違うの。なんだ勘違いしちゃったじゃん。」

私は今更ながら自分が震えていることに気づいた。尾行されているときも、抱きつかれた瞬間も平然としていられたのに。

顔も見えない相手に身動きできないように押さえられている状況でようやく、一般的な女性のような反応をしている自分。

意外と私って怖がりなんだな、と他人事のように思った。

「…おい、家どこだよ。」

私は黙ったまま、こたえないことにした。

「教えてくれないと持ち帰るぞ。」

溜め息混じりの声が言う。
それもいいな。
基本的に自暴自棄に生きてる私は、後先のことなんて考えない。
十九年間変わることのない私のスタイルは今更変えようとしても不可能だ。

「できるもんならどうぞ。」

やってみろよ。
私は挑発的に笑った。

「なんかムカつく。後から嫌って言っても引き摺ってくぞ。」

私のぐにゃぐにゃな体を支えながら、ソイツは街灯の下で立ち上がった。
ゲッタグリップの真っ赤なブーツが視界に入る。
私はいきおいよくソイツを見上げた。

そこにいたのは孔雀と鶏のハーフみたいな男だった。