「ただいま」と小さな声で本当に柚月さんは帰って来た。日付が変わるギリギリの時間だったけど、帰って来てくれた事が嬉しくて、僕は隠れてクラッカーを鳴らした。



 用意した食事を黙々と食べ、たまにちょっと笑いあったり、茶トラと灰色狼にもご馳走をおすそ分けしたりしているうちに、何だか柚月さんから漂う空気が変わった。 

 あれ? 僕、何かへんな事言ったっけ? 唯「家族4人用」って言っただけなのに……。

 それでも、こんな日に喧嘩は嫌だと思った僕は、急いで柚月さんにプレゼントを渡す。

 こんな小さな指輪が入るのか? って心配したけど、雅さんの情報は正しく、指輪はピッタリと柚月さんの指にはまった。

 この次は確か抱きしめて押し倒して、愛を叫べって……。




 押し倒したりとか…………



 そんな事出来る訳ない!!!!


 だから僕は「結婚して下さい!」と愛を叫ぶだけにした。それにまさか頷いてくれるとは夢にも思わなかったんだ。




「はあ……」

 パーティの後、洗い物をしてそそくさと部屋へ引き上げて行った柚月さんの部屋を訪ねる勇気がない。

 結婚してくれるのに、キスはダメらしい。

 そんなの、流石の僕でも耐えれない状況だよ? 柚月さん? 分かってる?

「はあ……」

 ああ、やっぱり女心って分からないや…………。





「帰省する」の柚月さんの言葉に、ああそう言えば母さんも言ってたなあと思い出す。でも今年は茶トラ達がいるから無理だと思って、僕は一応断ったのに、柚月さんは犬達の事をすっかり忘れて帰ると言ってしまったらしい。

 それなら僕も帰ろうと、実家に電話する。

「凪! やっぱり帰って来るの? まあ、嬉しい」

 本当かな? 結構面倒臭がりやな母さんだからな。

「帰るけど、犬を2匹連れて帰っても「無理よ!」」
 全部言う前に遮られる。それを粘りに粘って「1匹のみ可」にした。柚月さんも茶トラを連れて帰ってくれるらしいし、これで安心だけど、何だか寂しい。

 出会って最初のお正月。初めての「明けましておめでとう」は柚月さんと茶トラと灰色狼に言うつもりだったから、余計に寂しい。

 それに、柚月さんには言ってないけど、1月6日は僕の誕生日なんだ。

 その日は一緒にお祝いをして欲しかったな。

 僕……ついに成人になるし。大人になるし。って言っても学生の身ではそんなにも変わらないけど。

 それでも「おめでとう」って言って欲しかったな。




 飛行機に揺られ、高校時代の先輩に「犬、でかくない?」とビビリながらも実家まで送ってもらい、何とか懐かしの我が家に到着する。

 大学入学前は随分と古ぼけたマンションだって思ってたけど、今は実家よりも古い民家に住んでるから、エレベーターや20階から眺める景色がやけに新鮮に映った。

 灰色狼はこんなにも高い景色を眺めた事がないので、ベランダに一回出たきり震えて隠れてしまった。
 
「本当に犬飼ってるのね。契約したマンション、狭いワンルームだったけど、こんなにも大型犬飼ってて問題ないの?」

「引っ越した」

「は? いつ?」

「えっと……夏?」

「は? そんなのお母さん一言も聞いてないわよ!」

「言ってないし」

「何でって、まさか犬の為に引っ越したの?」

「うん、まあ……」

 帰って来てからずっと母さんの質問攻めにあっていたけど、この件だけは触れて欲しくなかった。

 だって、犬達の為って言いながら、本当は僕が僕の為に引越ししたのだから。

 柚月さんの側に居たくて。

 柚月さんと離れたくなくて。

「…………凪? まさか、まさかとは思うけど、女の子と住んでたりしないわよね?」

「…………」

「住んでるの?」

「す……住んでるわけないよ!」

「はあ……」

 母さんのため息が大きい。バレたか? バレてしまったのか? どうしていつも僕は母さんに隠し事が出来ないんだろう? 違うって言ってもいつもバレる。

「妊娠だけは気をつけなさいよ……」

 それだけ言って、母さんは夕食の準備を始めた。

 か、母さん! 言う事それだけなの? そこだけ気をつければいいの? もっと他にないの?

 昔から大雑把だった母さん。まあ、それだけですんで良かった。これも僕が男だからなのかな? もし女の子とかだったら、もっともっと怒られたり……。

「ゆ……柚月さん……」

 柚月さんは同居、家族にバレてないだろうか? バレたりして怒られたりしてないだろうか? それだったらどうしよう……。

 気になりだすと、物凄く気になって仕方がない。

 柚月さんってたまに抜けてるから心配だなあ……。



 正月気分も抜けた1月5日。

「父さんと母さん、今日から温泉に行って来る」と出かけた。

 どうやら、完璧に僕の誕生日を忘れているらしい。

 まあ、急に帰省するって言った僕も悪いし、明日成人する男が親の旅行に同行ってのもヘンなので、灰色狼と留守番する事にした。

 したのだけれど…………。

「暇だなあ……」

 友達とはだいたい会ったし、特に実家や地元でしたい事もない。

 1番したい事って言えば柚月さんに会いたいだけど、柚月さんの実家と僕の実家は飛行機で2時間ぐらいの距離。簡単に会える筈もない。

「柚月さんと茶トラに会いたい? 灰色狼?」

「ワンッ!」

「そっか。そうだよね。もう帰ろうか?」

「ワンッ!」

 親には置き手紙でもすればいいや、と僕は早々に家に帰る用意をして、飛行機の空きを調べる。


「満席」「満席」「満席」

 帰省のピークなのか何なのか、今日、明日の飛行機が空いてない。

 犬連れだから、飛行機が満席だったら帰れない。

「どうしようかなあ」

 そう思いながら、何となく柚月さんの実家近くの空港行きを調べると、明日の夕方の便が数席だけ空いていた。
「明日……」

 明日は僕の誕生日。

 少しでもいいから柚月さんに会いたい。

 飛行機が数席空いてるのは、きっと「会いに行け」って神様の思し召しだ。

 そう思って、普段では絶対に買えない、高い高い正規運賃で航空券を予約した。

 遠洋漁業のアルバイト代を使わずに残しておいて良かったよ……。



 僕は唯、柚月さんに会いたくて、考えなしだった。

 それでも、この行動が僕達の今後を大きく変えてしまうとは、この時の僕はまだ知らなかった。