茶トラと同棲? して2週間が経ち、もうすっかり茶トラとの生活にも慣れた。

「茶トラ。散歩に行こうか?」

 朝早くに、茶トラを連れて、この辺りを散歩する生活。

 初日こそびっくりしたものの、最近では茶トラのトイレサイクルが理解出きるようになって、随分と楽になった。

 こっそり部屋から連れ出して、首輪付きリードを茶トラにセットして、ゆっくりとドッグランまで歩く。

 なんて健康的な生活になったんだろう。

 朝の少しずつ暖かくなる風と太陽を感じながら、目的地へ向かった。



「柚月さん。おはよう」

 今日は凪が先にドッグランに来ていた。

「おはよ。ほら茶トラ行っておいで」

 リードを外すと、白ウサギと灰色狼の方へ駆け出して行った。

 柵にもたれ掛かりながら、ぼんやりとその光景を見つめる。

「柚月さん。僕、今日」

「バイトでしょ? 今日は居酒屋の日だったっけ? うん、いいよ預かるよ」

 凪はバイトを2つ掛け持ちしていた。

 居酒屋と家庭教師。

 家庭教師の方は、子供相手の時間なので、子犬を預かると言う事はないのだが、居酒屋の方は深夜までやっていて帰りがほぼ明け方近くになるので、必然的に子犬を全て預かる事になってしまっていた。

 それを「いいよ。預かるよ」で済ましてしまっているのも問題なのだが、私が深夜勤務の日には、茶トラを預かってもらってるので、持ちつ持たれつの関係というやつだ。

 何となく、凪との付き合い方にも慣れた。




 朝の散歩を終え、またこっそりと子犬を部屋に戻そうとしている時に、事件が起こった。

「大澤さん。東さん」

 凪と驚いて振り返ると、そこには鬼の様な顔をした大家さんが立っていた。





「困るのよね。本当に」

 最近、犬の鳴き声がすると大家さんに苦情が入っていたらしい。

 考えてみれば、薄い壁1枚のワンルームマンションでバレない方がおかしかったのだ。

「別にね貴方達のお付き合いを止めるつもりは無いのよ。でもね2人で犬を飼うって言うのは、やっぱり他の人に示しがつかないでしょ? ここペット禁止だしねえ」

 色々と誤解を呼んでいる様だが、こちらに全面的に非があるために、言い訳が出来ない。

 黙って茶トラを抱きしめる私と大家さんの間に、凪が立った。

「すみません! 僕が拾ってきたんです。柚月さんは好意で1匹預かってくれてただけなんです。飼い主を必ず探しますから、もう少しだけこのまま大目に見て頂けませんか?」

「でも他の人がねぇ……。え? ちょっと大澤君! 泣かないで!!」

「ここを追い出されたら、僕も子犬達も路頭に迷って、野垂れ死にする」

 うわーんと言う声が聞こえそうな程、泣き始めた凪を見て、大家さんも物凄く困った顔をした。

「お願いします! 飼い主が見つかるまで!」

「クゥーン」

「クゥーン」

 凪と、白ウサギ、灰色狼のウルウル攻撃に、大家さんの顔が少し歪んだ。

 頑張れ! 凪達! 後一歩だ!

「ぼ……僕。この子達を、保健所に連れていけない」

「クゥーン」

「クゥーン」

「大家さんから保健所に電話しますか? そしたら僕はこの子達を抱えて」

「あーー! もう! わかったわよ!」

 大家さん。凪のウルウル攻撃に陥没した瞬間だった。



「よかったねー。柚月さん」

 ブラッシングしながらご機嫌の凪だったけど「全然よくない」と私は冷静に言い返した。

 大家さんの出した注文は「夏までに飼い主を見つける事。見つけない場合は、申し訳ないが出て行ってもらうか、可哀そうだが犬を処分しろ」と言うものだった。

 ペット不可の学生マンションを管理している大家さん側から見れば最大に譲渡してくれたのだろうけど、夏までに飼い主を見つけなければ、冗談抜きで私も路頭に迷う。

「どうしよう。困った」

 頭を抱えて悩む私に凪が「え? 別に柚月さんは困らないでしょ?」と言った。

「どうして? 夏なんてすぐだよ?」

「え? だって夏までに飼い主が見つからないんだったら、僕が3匹抱えて出て行くよ。柚月さんは、そのままここに住めばいいんじゃないの?」

「え?」

 凪に言われて「その手があったか!」と思ったけど、私の膝の上で丸まって寝ている茶トラを見ると、今さら無責任に凪に丸投げ出来ないと感じた。

「探すよ。夏までに必死に、茶トラを幸せにしてくれる人を」

 私は自分に出来る精一杯の事をしようと心に決めた。

 引越し云々を考えるのは、努力後の結果次第だ。

 茶トラを優しく撫でながら、飼ってくれそうな人を考え始めた。



「え? 犬?」

 取りあえず大学だ。

 凪も当たってるかも知れないけど、男女では交流が違う。もしかしたら、1人ぐらいは見つかるかも知れないと簡単に思っていたのだけど……。

「ごめん。うち賃貸のワンルームだから飼えないよ」

「そっか。ごめんね」

 この回答は何人目だろう。

 私は早くも後悔し始めていた。

 中学、高校ならまだしも、大学生ともなれば、1人暮らしをしている人間が大半になっている。

 しかも中途半端な地方都市だから余計だ。これが都内とかなら親元から通ってる子も多いだろうに……。

「何で皆、1人暮らしなのよ……」

「大学より地元の人の方がいいんじゃない? ほら、この辺まだ一戸建てとか多いし。そうじゃなきゃ飼えないでしょ? 犬なんてさ」

 雅には捨て犬を拾ってしまって困っているとだけ説明し、飼い主探しを大学内部で手伝ってもらっていた。しかも雅の人脈は私が思っている以上に広くて明るく、サークル内部には彼氏もいるらしいと、つい先ほど知った。

 自分と同列だと思っていた事に深い反省を促す。そして意見がいちいち的を得ている。

「地元の人と親しい交流とかないし」

 そもそも、ここに引越しして来て、まだひと月ぐらいなのだ。社交的でない私には知り合いなんていない。

「どうしよう……」

 このままでは茶トラが路頭に迷ってしまう。

 もっともっと最悪なのは、保健所に連れて行かれてそこで……。

「そんなのは嫌!」

 急に大声を上げた私を驚いた顔で雅が見つめている事など知らず、私は涙を抑えながら必至に知らない人に声をかけ続けた。

 悲しい結末だけは絶対に嫌だと強く思った。