絶句する――という体験を大学に入学してから何度体験しただろう。

 それは全て、凪がらみだったけれど、凪は将来の義父に対しても何かをして、心をガッチリと掴み取っていったらしい。

 無口で厳格な父から「キス」とい単語を引き出させた凪の人心掌握術。

 本当に絶句するしかなかった。


 

「凪は酔いながらでも話してくれたぞ」

「な……何を?」

「柚月を初めて見かけた日の事とか、どんな風な毎日を過ごしてるとか、柚月のどこが好きとか……」

「初めて見かけた日?」

 そう言えば、私の中の認識では、いきなり「付き合って下さい」だったけど、凪はどこで私を見たんだろう? どうして名前を知ってたのだろう?

 黙り込んでしまった私に「聞きたいか?」とニヤニヤするお父さん。

 昨日の怒り具合がウソみたいに楽しそうだ。

「別にいいよ」

「そう言わずに聞いてやりなさい。凪の本心を!」

 私の気持ちなどお構いなしに、お父さんは昨日の出来事を語り始めた。





 ビジネスホテルまでの道すがら「僕、今日が誕生日だったんです。だから柚月さんに会いたくなって」といきなりの突撃訪問にはきちんと謝ったらしい。

「何歳になったんだ?」とお父さんが聞くと「20歳です」となり「じゃあ、酒も飲めるな」と途中のコンビニでお酒を購入。そのままビジネスホテルの狭い一室で、むさ苦しい男同士の飲み会が始まった。

 元々、アルコールを摂取しない凪は、ビール一本で直に酔っ払い始めたらしい。そして「お父さん! 聞いて下さいよ~」とベラベラと聞きもしない事を話した。

「僕、柚月さんを一目見て好きになっちゃったんです。あれは大学の入学式の日でした」

 天気が悪かった入学式。私もよく覚えてる。

 春の嵐とでも言うのか、風が凄く冷たくて桜が舞っていた。そして、帰りに小雨が降り出したのだ。私は急いでコンビニでビニール傘を買って、それからどうしたっけ?

「柚月。持ってた傘を犬にあげたんだって?」

 そうだ! と思い出す。マンションまでの帰り道。近所のスーパーの電柱に繋がれたままの子犬が居たのだ。嵐で雨も降って来て、寒さで震えてるのを見かねて、犬に傘をかけた。飛ばない様に重石を乗せ様としたけど、結局手軽な重石がなくて、探してる間にビニール傘はどこかへ飛んでいった。

 私は「ごめんね」と犬に謝って、走ってマンションへ帰ったのだ。

 まさか、その間抜けな行為を凪に見られてたとは……。

「それで、ああ、こんなにも優しい人がいるんだな、と感動したらしいぞ」

「いや、結局、私も犬も濡れちゃったし」

 買ったばかりのスーツがビショビショになり、泣きそうになった記憶が蘇る。

「優しいお嬢さんが飛ばした傘を拾って届けてあげようと思ったけど、どこに行ったか分からなくなってしまったらしい」

「別にいいのに。安物だし」

「もう一度、会いたかったんだ。お父さんにはその気持ちが分かるぞ!」
 
 どうでもいい親の恋愛感を語られても、子供としては困る。

「凪は運命の再会をする」

 入学式の午後。

 凪は隣にだけ、引越しの挨拶を行こう事にした。その辺は「ちゃんと、しなさいよ!」と凪のお母さんに言い含められてたらしい。私も言われた気がしたけど、そういえば何もしなかった。

 左隣は留守。仕方ないので右隣へ行くと、丁度ガチャッと出てきた人。

 それが、私だったらしい。

「ああ、クリーニングに行こうとしてたんだ」

 新品、ビショビショスーツを早くクリーニングに出したくて、入学式の午後に出かけた記憶がある。

「あっ! と凪は思ったらしいけど、何も言わずに不審気な目を向けられて、お嬢さんは無言で去って行ったらしい」

「だって、知らない人だし。普通、話なんてしないでしょ?」

 1人暮らしが始まって、私も色々と用心していたのだ。

 正直、入学式の話なんて、言われるまで忘れてた。

 憶えているのは雅と話した事ぐらいだ。

「凪は運命を感じた。もう、間違いなく運命の人だと思ったらしい」

「バカだね」

「バカではない! 男はロマンチストなのだ!」

 お父さんのゴリラ的外見から放たれる「ロマンチスト」の言葉と崩壊してしまったキャラにまた絶句する。

 もしかしたら無口で責任感が強くて、と勝手にイメージを抱いていただけで、今のお父さんが素なお父さんなのかも知れない。

 凪と出会った人は、みんなあの明るさに圧倒されて、構えて生きるのがバカバカしくなって、素な自分が出てくる――私みたいに。


「凪君は、何とかお近づきになろうと頑張った」

 私と同じ時間に家を出ようとしたら寝坊した。隣の人が大学生であろうと検討はつくが、どこの大学かも知らない。数日、頑張ったがどうしても同じ時間に家を出れなくて、そのうちに大学の講義が始まる。

「そこで! 何と運命の彼女が居たではありませんか!」

「お父さん、芝居がかって来てるよ……」

「父さんは元演劇部だ! これからがいい所なんだ!」

「はいはい。え? 柔道部じゃないの?」

「薄幸の美少年だったんだ」

 嘘か真かわからない話を聞き流しながらも、私はお父さん対する苦手意識が薄れてきたのを感じた。

 こんなにも面白い人だったのだな、と親子でも知らなかった事実を知る。



 出席を取るのに名前を言われて返事する。そこで凪は「東柚月(あずまゆづき)」と言う私の名前を知る。


 そこからは知ってる。数日後に「東柚月(あずまゆづき)さん! 僕と付き合って下さい」だ。

 頭がおかしい人間だって思ったけど、実は入学式の日から見られてたのか……。

 それでも、そう言う事を言うには早過ぎるんだけどね。

 もっと、色々と過程を、と考えて「凪に出来るわけないか」とため息をついた。

 アイツが過程を飛ばしまくりなのは、もう知ってる。

 凪には、戦略とか、考えとか、そう言うのはない。唯、思った事を真っ直ぐに相手に伝える。

 それは、今なら分かるんだけど、知らない人間に大声で告白された私の身にもなって欲しかったよ、凪。


「話はお終い? もう、お父さんのお芝居に付き合うの疲れちゃった」

 親から聞かされる、自分と彼氏の出会い。

 物凄く屈辱感がある。

 どうして自分の知らない彼氏の事を親から聞かされなければいけないのか。

 それに、どうしても恥ずかしい。耐えきれない。

 そう思って、部屋へ逃げ帰ろうとしたら「話はまだ終わってない!」と腕を掴まれ席に座らされた。

 露骨に迷惑顔をする私に、お父さんが「凪の本心を知りたくないか?」と聞いてきた。



 大切な言葉とか、本心とか、そういう大事な事は本人の口から聞きたい。

 そう言って部屋へ逃げようとしているのに、掴まれた腕の力が強くて外せない。

 多分、お父さんはまだまだ、この小芝居を続けたいのだろう。

 それなのに観客は私しか居ない。

 本当に運が悪いが、母や妹などに聞かれた日には、もうこの家に帰って来れないだろう。それなら私自身の事を私が聞いた方がいい、と覚悟を決めて、お父さんの話の続きを待った。