「分かりました」

 そう言った凪。

 本当に分かってるの? 私と茶トラと灰色狼と別れて暮らすって事だよ?

 凪は平気なの?

 寂しくないの?

 辛くないの?

「嫌」と叫んだ私の言葉には、誰も耳を傾けてくれない。

「凪の裏切り者」と叫びたいのに、叫べなかった。


 だって、凪があまりにも真剣な顔をしてるから。

 だって、お母さんが正しいって分かるから。

 それでも、やっぱり私は嫌だ。



「嫌だよ! そんなの嫌! どうして凪は平気なの? 辛くないの? 寂しくないの? 私はそんなの……」

「柚月さん!」

 強い言葉で話を遮られる。

「どうして?」

 凪はお母さんとお父さんと瑞月を見つめて「茶トラ達をお願いします」と、深々と頭を下げたのだった。





 その日、凪はお父さんの知り合いがやってるというビジネスホテルを紹介されて、お父さんに連行去れる様にホテルヘ引っ張られて行った。そして、何故かお父さんも帰って来なかった。

 心配しなくても、あんなゴリラみたいなおっさんを襲う変質者もいないだろうし、緊急な仕事でも入ったのかも知れない。よくある事だ。

 私は庭に出て、一緒に寝転んでいる茶トラと灰色狼の頭を撫でた。

「もう、一緒に暮らせないんだって。しばらく……」

「クゥン?」

「ワンッ!」

「もうね、私と凪と茶トラと灰色狼で一緒に過ごせないんだって。2人とも、そんなの嫌だよね?」

「ワンッ!」

「ワンッ! ワン!」

「だよね。逃げちゃおうか? 4人で……」

 でも、と思う。

 あの1番「嫌だよ~。柚月さん~!」とか言いそうな凪が、真剣な顔をして、親に「お願いします」って頼んでた。もう一緒に暮らせないのは理解しているはずなのに。

「どうしてなの? 凪?」

 凪が何を考えてるのか、全然わからない。

 寒い寒い冬の夜の空には、寒月が光る。

 蒼くて冷たくて、欠けている月。

 訳もなく寂しくて、訳もなく涙が出て。

 綺麗だと思う反面、月に孤独を感じるのは、私の心境とリンクしているからだろうか?

 それでも、と思う。

「欠けた月は、元に戻る。欠けて、満ちて、欠けて、満ちて。形は変わってもずっとそこにある」

 私と凪もそうなりたい。

 形は変わっても確かにある存在。そうなれば、数年ぐらい離れて暮らしたって平気な筈。

 私と、凪と、犬達と。

 確かな絆があれば、必ずまた、一緒に日々を過ごせる。

 だから、信じよう。凪を。

 だから、信じよう。犬達を。

「綺麗な月だね。茶トラ、灰色狼……」

 3人で見上げた月。

 今の時間、今の空気。そして、共に過ごした数ヶ月の時間。

 言葉は通じなくても、私達の間には確かな絆があった。

「凪の事も信じてあげようね」

「ワンッツ!」

「ワンッツ!」

 ねえ、凪。

 何を考えてるか、イマイチよく分からないけど、信じていいよね?

「信じるからね……」

 信じさせてね、お願い。






 翌日。

 お父さんが酒臭いをまき散らしながらフラフラと帰って来た。

「お父さん、仕事だったんじゃないの? お酒飲んでたの?」

「ああ」

「誰と? あんな時間から?」

「誰とって凪に決まってるだろう?」

 絶句した。あそこまでなったお父さんを暴れさせずに止めれた人間は凪が初めてだ。

「おそるべし、凪」

「ん? 何だ?」

「いえ、別に……」

「それよりもだな! 柚月!」

 若干の怒りを含んだお父さんの声に思わず姿勢を正すと、怒りたいのに怒れない。言いたいのに言えない。みたいな微妙な顔でこちらをジッと見ていた。

「何?」

 こんな表情のお父さんは初めて見た。

 何だろう? 一体? 

 もう本当に隠し事はない。


「お茶!」

「はい」

 キッチンでお茶を淹れながらも、背後から強い疑いと好奇心が交じった視線を感じる。

 本当にどうしたのだろう? 

 お父さんが何かヘンだ。


「もしや、暴行しすぎて殺しちゃった? それで最後の家族団らんを……」
 
 流石にそれはないな、と考え直す。

 じゃあ、酔っ払って、凪が何かしたとか?

「酔っ払い?」

 凪って確か、1年生。つまりは私と同じ年……。

「警察官が未成年に飲酒を!?」

 それがバレて警察をクビになったとか?

 お父さんの違法と言えば、それぐらいしか考えられない!

 凪と私のせいで、この家族まで壊れてしまうのではないか、とビクビクしながら、お父さんの前にお茶を差し出した。




 お茶を飲む静かな音だけが室内に響く。

 ムスッとしているお父さんも嫌だったけれど、この微妙な憐みを含んだ目で盗み見られるのはもっと気持ち悪いし、嫌だ。

 それでも決定打を待つべく、黙って近くに座っているが、話さない。

 お母さんは「2匹も同時に散歩出来るかしら?」と言いながらも張り切って散歩に行ったし、瑞月は朝から友達と遊びに行った。

 つまりはこの家には今、私とお父さんの2人しかいない。

 誰かに助けて欲しくても、誰も居ない。

 いつもなら、黙って部屋へ逃げるのだけれど、何か話がありそうだから、それも出来ない。

 昨日の今日だし、話は絶対に私と凪の事だ。

 それならば聞かずにはいられないから待っているのに、やっぱり話さない。

「お父さん」

 お父さん譲りの低い声で怒っている事を強調する。

「言いたい事があるならハッキリ言ってくれないかな」
  
 私の怒りと焦りをやっと感じてくれたのか、目だけ動くゴリラの銅像のようになっていた体と口が動き出した。



「昨日、凪と酒を飲みながら話してたんだが……」

「はいアウト! 凪は未成年でしょ? 警察官がお酒を飲ませてもいいの?」

「未成年? アイツ20歳になったばかりだろ?」

「……え?」

「昨日が誕生日だったらしい。それで祝い酒をだな……」

「え? え?」

 昨日で20歳? 昨日が誕生日? そんなの聞いてないよ!!

「あれ? 凪って1年生?」

「一浪。一昨年は、試験当日にインフルエンザに罹患して、テストを受けれなかったらしい」

 凪は、私よりも年上だったのか? あの頼りなさで?



「それでだな。凪と色々話をしたんだけどな……」

 そこで言葉が途切れて、意味もなくドキドキした。

 一体何を話したのよ? 凪?

 気持ちを落ち着けようと、お茶へ手を伸ばす。

「お前、一緒に暮らしながらも、凪にキスすらさせてないらしいな」

 ガッチャアアアン!

 お母さんが大切にしていた備前焼きの湯飲みが割れた。

「本当みたいだな……」

 動揺しきってる私に、お父さんが何とも言えない視線を向けた。

  
 実の娘を憐れむのは止めて欲しい。