「こんな場所があったんだ」

 茶トラが連れて来てくれた場所は、川沿いにある整地された公園だった。

 柵で囲ってある場所は、ドッグランスペースになっているみたいで、茶トラ達以外にも既に結構な数の犬がいた。

「皆、早起きなんだね」

「この時間だと、おじいちゃん、おばあちゃんが多いよ。夕方になると、結構子供とかも来るんだけどね」

 そう言いながら、大澤凪は3匹のリードをスルリと外した。その途端に走っていく3匹。走り回り、他の犬にちょっかいをかけたり、怒られたり。見てるこっちがハラハラする。

「大丈夫なの? 子犬だよ」

「子犬だからね。他の犬も大目にみてくれるよ。大丈夫。遊んでいるだけだから」

「そんなものなの?」

 確かに見ていると、特に噛まれたりとか、嫌がらせを受けたりとかはしていない。本当に楽しそうに駆け回っている。

 私と大澤凪は、ドッグランスペースの柵にもたれかかりながら、3匹を見守った。

「ねえ、柚月さん」

「何?」

「僕の事は凪でいいからね。フルネームで呼ばれるのは、ちょっと慣れてないんだ」

 そう言われて、ずっとフルネームで呼びかけていた事に気づいた。フルネームで呼ばれるなんて、それこそ学校以外、ほぼ皆無だろう。慣れなくて当然だ。

「凪……かあ」

「あれ? 嫌?」

「ううん。男の子を名前で呼ぶのって、何か友達か……」

 彼氏みたい。の言葉は飲み込んだ。ヘンな事を言って、また付き合ってとか言われたら困る。

「友達じゃなかったの? 僕達」

「大学の講義が始まって1週間。同じ履修を受けたのが3日前。話をしたのは昨日。友達ですか? って聞かれたらNOと言える関係だよね」

「酷いなぁ」

 いきなり公衆の面前で恥をかかされたり、犬を託されたり、どっちが酷いのよ、とも思ったけど、朝の綺麗な空気の中を散歩したり、知らない場所へ連れて来てくれたりと悔しいながらも楽しいと感じることもあったので、色々な件は取りあえず保留にしておく。


「他人以上、茶トラ以下って事で」

「酷いなぁ」

 酷くても、そこはまだ譲れませんから。

 私達は、人通りが増える時間まで、3匹をゆっくりと遊ばせた。



「凪って今日は講義何時から?」

「1限から」

「のんびりしてていいの? もうヤバイんじゃないの?」

「うん。遅刻。誰か代返とかしてくれてないかな」

 凪は本当にマイペースな男だ。

 のんびりゆっくり散歩して、気ままに色々立ち寄って、部屋に戻って子犬達の餌やりからブラッシングまでを丁寧にしている。

 それぐらいマイペースじゃなきゃ、飼えもしない犬を3匹も拾ってこないか……。

 ブラッシングを終えた凪が犬達と楽しそうにじゃれ合う姿を、私は見るとはなしに何となく見続けた。





「昨日の男、あれからどうしたの?」

 2限からゆっくりと講義に出た私は、隣に座っている雅にコソコソと質問攻めに合っていた。

「別に、何も」

 正直、この話が蒸し返されるとは思っていなかった。

 しかも昨日の男は隣人だった上、ペット禁止なのに犬を飼ってて、一緒に散歩しましたとは言い辛い。

 私にとっても晴天の霹靂なので、どう説明したらいいのかもわからない。

「ふーん。面白くなりそうだったのに。犬っぽい男と猫っぽい女のコンビってさ」

「猫?」

「柚月って絶対に猫科でしょ? 気分屋でマイペースで、擦り寄って来たと思ったら離れて」

「最近知り合った割に結構言うね」

「人間観察が趣味ですから」

 雅にとって私は猫科で簡単に説明のつく人間なのか、と少し新鮮な気持ちで驚いた。

 無表情で無愛想な喜怒哀楽に乏しい欠陥人間だと自分では思っていたけれど、他人の目から見た私はマイペースな猫科で説明がつく簡単な人間……なのかも知れない。


 実際、表情を作るのが苦手なだけで、喜怒哀楽がない訳ではないのだから。

 その証拠に、昨日から凪に振り回され続けて、慌てたり、怒ったり、楽しんだりと普通にペースを乱されまくっている。

 それを不快に思えない事が何よりも不快だ。と思ってみても、やはり不快になれない。

「柚月には、結構合ってると思うんだけどな。犬君」
 
 雅がまたしても小さく、しかも確信するように呟く。

 私と同じで雅は他人や物事に興味がないと思っていたけど、もしかすると他人との距離の取り方が抜群に上手な器用な人間なのかも知れない、と認識を改めた。

 私に最適な距離感で接してくれる雅に心から感謝をしながらも「犬とはないよ」と強い口調で言いかえしておいた。





 3限までの講義を終えて、家に戻ると、茶トラが私の足元に擦り寄って来た。尻尾が振り切れんばかりに揺れていて「クゥン」と懐くその仕草が堪らなく可愛い。

「ただいま、茶トラ。良い子にしてた?」

「クゥーン」

「そっか。良い子だったんだね。エライぞ」

 頭を撫でて抱き上げながら、部屋に入ると、ベッドの上に置いてあったお気に入りのクッションが見るも無残に引き裂かれていた。その綿が部屋中に散らばっていて、辺り一面が真っ白な綿の雪原になっている。

「やられた……」

 高校時代から愛用している、超巨大クッションだったのに。

 あのクッタリと適度に綿が萎んでいる感触が堪らなく私のお尻にフィットしていたのに。

 ここまで引き裂かれては無理だ。

「ちゃ~と~ら~!」

 抱き上げている茶トラが尻尾を丸めてブルブル震えだしたので、何となく怒る気も失せて、私は綿の片付けを始めた。



「さて、どうしようか」

 今日はバイトの日だ。しかも夜勤シフトの日。茶トラを1晩ここに1人ぼっちで置いておくのは何だか可哀想だし、怖い。

「お隣に預けるか」

 凪の部屋のものなら、別に何を壊そうと、粗相をしようと関係ない。

 私は茶トラを抱えて、隣の部屋をノックした。


「柚月さんバイトですか? いいですよ。今日1晩茶トラはこっちで預かります。あっ! でも明日は僕が居酒屋の遅いシフトなんで代わりに白ウサギと灰色狼預かって下さいね。じゃあ、仕事頑張って下さい」

 言うだけ言って、凪は扉をバタンと閉めた。

「他の子犬を預かる?」

 どうして、そんな「2人で共同で秘密に飼ってますよ」状態に陥ったのか、わからなくなる。

「もしかして、私、また嵌められた?」

 マイペース過ぎる男、凪。

 本当に要注意人物だ。