凪の予想外に長い失踪劇。

 それがあったからこそ、私は素直になれた。

 何もなかったらきっと、ずっとずっと自分の気持ちに栓をした。

 居心地のいい今までの関係を壊したくないから。

 楽でいたいから。

 その気持ちを吹っ飛ばす出来事があって良かったのかも知れない――と感じた。

 凪の居ない間の苦しみは、私にとっては必要な痛みだったから。

 苦しんで悲しんで泣いて騒いで、そうして知った事が沢山あったから。




「今日は凪のお帰りなさいパーティーでもする?」

「本当? 嬉しいな。でも、その前に店長に会って来るよ。多分、滅茶苦茶怒られてクビだと思うけど……」

「そうだね。店長さんも凄く心配して何回も私の携帯に連絡くれてたし、奥さんも……」

 2人は、私以上に心配して狼狽していた。

 まさか、こんなにも長い失踪劇になるとは誰も予測してなかったから。

「店長と奥さんかあ。そう言えば奥さんの手料理食べたいなあ。船の上では魚が多かったし肉がいいなあ」

 まず、その一言にピキンと来た。

 私達は今、お互いに自分の気持ちを確認したはず。

 それなのに「柚月さんの手料理」とかじゃなくて、奥さんなんだ。

「店長の作る賄いが食べたいなあ。あ、柚月さん! もし店長が許してくれたら、今日は、祭でご飯食べない?」

 ピキン! ピキン! 2度目。

 私に会いたかったとか、声が聞きたかったとか凪らしくないキザなセリフを吐いた分際で、皆がいいんだ。

「あれ? 嫌? 奥さんの手料理も店長の賄いも……」

 私は机をドンッと叩いて、立ち上がった。

「好きにすれば? 凪のバカ!」

 たったひと月の失踪では、デリカシーは培われなかったらしい。

 私達もう、前とは関係なのに、それを理解した上での発言なのだろうか。

 そこまで考えて「あれ?」と思った。

 本当に私達は前とは違うんだろうか? と。

 もしかしたら、あんまり変わらないまま?

 それはそれで望んでいた結果ではあるけど、それでも少しずつ変わっていけばいいと思っていた。

 だけど凪は違うのかも知れない。

 ニコニコと携帯を取り出しながら話始めた凪(充電は出来たようだ)を見て、やっぱりこの男の考えはよく分からないと頭が痛くなった。

 どういう関係になるにしろ、私は結局凪に振り回されそうだ。





「では、凪様のご帰還を祝って乾杯!」

「乾杯!」

 祭の営業後、深夜のご帰還パーティーが始まった。

 店長さんや、奥さん。バイトのお兄さん、お姉さんも勢揃いした十数人のパーティーに私も出席したけど、1人だけ部外者というのは、すこぶる居心地が悪い。

 凪と店長さんと奥さん以外は、ほとんど知らない人で、何より主役の凪が別の人達に遠洋漁業の大変さと切実さをずっと語ってる。

 その主役の顔には、私が殴った他にも痣や引っ掻き傷が出来ていて、どうやら店長さんに殴られた挙げ句、同僚の人達に引っ掻き回された跡で、それだけで許してもらえた事を知る。

 失踪しても心配かけても、やはり凪は凪で、周りの人達に可愛がられ許してもらえている。

 良かったと思う反面、私は何だか面白くない。

 別に凪がバイトをクビになったり、もっと怒られて嫌われたらいいと思っていた訳ではない。許してもらえて良かった、居場所を失わないで良かったと本当に安心している。

 それでも面白くなく感じるのは、凪が私と2人の時よりも、ずっとずっと笑顔が多いせいだ。

 凪は良くも悪くも人を引き付けてやまない魅力を持っている。

 それを見せつけられているみたいで、何だか悔しいのだ。



「柚月ちゃん、安心した?」

 ウーロン茶のおかわりを持ってきてくれた奥さんにお礼を言って受け取る。

「別に……そんな」

「ひと月ぶりぐらいか。それなら2人で過ごしたかったでしょ? ごめんね。うちの人が邪魔しちゃって……」

「いえ、本当にいいですから!」

 面と向かって、しかも真顔で言わないで欲しい。

「うふふ。もう、ラブラブした?」

 照れ隠しに飲んでいたウーロン茶を吹いた。

「してませんよ!」

「あらあ。うふふ…………」

 そう言ってニヤニヤする奥さん。もう完璧に出来上がっている。

「うふふ。もっと甘えなさいよ。帰ったら……」

 止めて! これは何の羞恥プレイなのだ! それにラブラブって言われたってそんなのした事ないよ! そもそもお互いに「好き」って言った割には、私達は今日1日、普通に何も変わらず過ごしたのだ。

 もしかして、と今更ながらに思い当たる。

 凪の好きって、LIKEの方の好きとか? LOVEじゃなくて……。それなら今日の普通過ぎる行動も納得だ。

 私なりに精一杯、これ以上は無理というほど頑張ってみたのに、結局は何も変わらないとか、それって年頃の男女としてどうなのだろう?

 恋愛経験値が低すぎる私には、男性心理というものはわからない。

 しかも相手は凪。

 一癖も二癖もありながら周囲がそれを理解していて、凪なら普通の思考じゃなくても仕方がない、と妙な納得をさせてしまう男。

 私には難しすぎる相手なのか?

 考えれば考えるほど、頭が混乱してきた私は、目の前にある液体を、何も考えずに飲みこんだ。



「あ! 柚月さん! ダメ!」


 凪の声がやけに遠くに聞こえる。

 それだけで安心する私ってどうなのよ。でも楽しい、嬉しい、面白い。

 笑ってしまう顔を止める事が出来ない。

 嬉しくてたまらない。

 凪が帰って来た。会いたかった。

 笑い続ける私の横に居座って、ずっと話しかけてくる人は誰?

 それすらも楽しい。

 凪がいるだけで、全てが幸せで安心で、心が温かい。

「帰ってきてくれて…………良かった……本当に……良かった」



 そう思った所で、私はまたしても意識を手放した。

 ただただ幸せだ、と思った。