散歩に行くたびに街がクリスマス色に染まって来た、12月の初旬。

「寒いな……」

 1人で2匹の犬を散歩させて、街を彷徨い歩く。この季節の1人ぼっちは身に沁みる。

 周囲の全ての人が幸せに溢れかえっているようで、私だけが寂しい。

「凪のバカ……」

 凪が居なくなってからの私は、気持ちの浮き沈みが激しく、話ぐらい聞いてくれればいいのに! と怒った数分後には泣き出すという情緒不安定な日々を過ごしていた。

 誰も居ない遊園地、その中で私は動き出すはずもないメリーゴーランドに乗って、ひたすら凪を待っている。

 そんな虚しさ、空虚、がらんどう。

 凪はどうしているのだろう? と考えない日はない。

 ――このままでは、留年になってしまう

 ――バイトがなくなったらどうするの? 店長さんも心配しているのに

 ――私はこの空っぽの家でいつまで耐えれるだろうか

 取りとめもなく、毎日考えている。

 このまま辛いなら、いっそここを出て大学も休学して実家に帰ってしまおうか? という全てを投げ出した考えを辛うじて止めてくれる存在が茶トラ達で、あの子たちがいなければ、私はとっくに逃げ出してしまっていただろう。

 この家で過ごした幸せな日々から。

 でも、本当にもうダメかも知れない。

 身を切る寒さに私はもう、耐えれそうにない。





 虚しい気持ちを抱えたまま家に帰り、ポストを開ける。

 凪が失踪した日からしばらくは、電話もメールも手紙も気にしていたけど、最近ではただ確認するだけの日課になろうとしていた。

 請求書やらダイニングメールやらクリスマスセールを知らせるチラシの中に、見なれない色彩があった。手に取ってみると、南の島らしい椰子が写った季節感のずれてる絵葉書だった。

 宛名は私と、茶トラと灰色狼。

 急いで裏返すと「明日帰ります。凪」

「……それだけ?」

 何? それ? こんなにも心配させて寂しがらせてそれだけなの? ずっとずっと連絡を待ってたのに、たったの一行。しかも要件だけ。

 私がこんなにも寂しがっているのだから、凪も同じ気持ちだろうと考えていたのだろうか?

 恥ずかしくなる。相手は全く気にしていないみたいだ。

「帰ってくるにしては気づかいが皆無だよね」

 ムカツク! バカ! と思いながら茶トラ達を庭に放して、鍵を開けると「お帰りなさい」と普通に凪が立っていた。


 ――まるで何もなかったみたいに。

 ――まるでバイトから帰ってきただけみたいに。
  
 私はそんなニコニコと出迎えてくれた凪に歩み寄って――



 グーで顔を思いっきり殴ったのだった。





「酷いよ……柚月さん……」

 氷で顔を冷やしながらボソリと凪が呟いたので「どっちが悪いの?」と切り返すと「僕です」と、また下を向いた。

 私も確かに悪かった。それを大いに反省した。それでも、いきなり失踪状態になって、連絡もしなかった凪の方が何倍も悪い。皆に心配をかけた凪の方が悪い。


 そう思いながら、静かに向かい合ってお茶を飲んだ。

 久々に、お茶の味を感じた。

「で、どこで、何をしてた訳?」

「う~ん。半分ぐらいは強制連行かなあ?」

「……は?」

「大変だったんだよ!」

 そう言って凪が語り出したのは、想像以上にバカバカしい話だった。





 何の考えもあてもなく、勢いで早朝に家を飛び出した凪は「海を見に行こう!」と思い立ち、海へ向かった。その時点で所持金は2万円ぐらいだったらしい。

 長期の失踪をする予定では無かったので、お金については何も考えていなかったそうだ。

「海に着いたら離島へ行く船が停まってて」

 思いつきで離島へ行こう! と考えた。

 一番安い切符を買って、行ける所まで行こうとした。

 友達に電話して数日間の代返を頼み、昼過ぎになってからバイトだった事を思い出し、店長さんに「しばらく休む」と告げる。その時の凪の中でのしばらくは、せいぜい1週間程度だった。

「海が綺麗で、カモメが飛んでたんだよ」

「海にはカモメぐらい居るでしょうよ? で?」

「……でって?」

「だから! 何でこんなに遅くなったのよ!」

「…………カモメ」

「え?」

「カモメにエサをあげようとして、サイフを海に落とした」

「は?」

「サイフ無くなった……」

 海にサイフを落とした凪だったけど、結構楽観的に考えた。

 離島で誰かにお金を借りよう! と。

「バカじゃない? 見ず知らずの人間に誰がお金を貸してくれるのよ?」

「そうなんだよ」

 離島に降り立った凪は、取りあえず交番に行こうと思ったが、交番がなかった。

 おまわりさんのいない平和な島だったのだ。

 何せ1円も持っていなかった凪は、困り果てて、人が多かった漁港に向かった。そこで、道行く猟師さん達に話をすると「船主さんに相談しろ」と言われ、船主さんの船へ向かう。

「……で、バイトするか? って言われて」

「するしかないよね? 一文無しだし」

「うん」

 そのまま、意味も分からず船に乗り込んだ凪。

 その船が遠洋漁業の船だったのを知ったのは出港してから3日後だった。

「びっくりした! 1ヶ月近く帰らないって言われて」

 逃げ出そうにも大海原のど真ん中でもう逃げ場はなかった。携帯の充電はとっくになく、あったとしても電波が届かない。それなら船の電話を……と考えてもアドレスは全て携帯の中で、誰の連絡先も分からない。唯一わかる、この家の住所に手紙を出したくても、ポストもない。

 凪は覚悟を決めて、取りあえず帰れるまで、船での雑用係としてひと月近く走り回った。




「なるほど……」

 凪の回想を聞けば聞くほど、力が抜けそうだった。

 あまりにもバカバカしすぎる。

 私のひと月の苦悩は何だっただろう?

 バカバカし過ぎるのに、凪ならありそうだ、という妙な真実味がある。

 私は怒りを通り越して大笑いしてしまった。

「バカだ。本当にバカだね。凪」

「うん。僕もそう思う。でもね、遠洋漁業に出てよかったって思った事もあったよ」

「何? ちょっと逞しくなったとか? そう言えば、冬なのに真っ黒に日焼けしてる……」

「いや違うよ」

「何?」

 日に焼けた凪は、怒って出て行った時よりも男らしく強くなっていて、その瞳にも力があった。私も真剣な表情で凪に向き合う。



「柚月さんに会いたいって、ずっと考えてた。柚月さんの声が聞きたいってずっと思ってた。僕、やっぱり柚月さんの事が好きだ。だから違う男に嫉妬した」

 自分の気持ちに気づいてひと月。

 凪の真剣で真っ直ぐな言葉を初めて聞く。

 私も、もう誤魔化さないし逃げない。


「私も凪に会いたかった。心配で、心配で、何度も泣いたし、寂しかった。苦しくて堪らなかった。私も凪が好きみたい」

 素直になれたのは、多分、このすれ違いのひと月があったから。

 遠回りも時には必要なのかも知れない、と凪の微笑を見ながら思った。