凪が好き。

 認めてしまえばとても簡単な事だった。

 関係を変えたくないと動かずにいたって、凪との関係が変わる事があると知った。

 ――変わらない関係なんてない。

 私と凪だって。私と雅だって。ずっとずっと、今と同じ関係では居られない。

 それでも声に出して伝えることで、その思いは相手へと届く。
 
 心の中で願っているだけでは、本当に大事な物を失ってしまう。


 
「私、凪を探したい。どうしても。会って話をしたい」

「そうそう。それでいいと思うよ。思うがまま行動してみたらいいよ」

「うん」

 立ち上がって今にも出ていきそうなわたしの腕を雅は掴む。

「意気込みはいいけど、サボリはダメ。柚月、風邪の時もずっと休んでて、後がないよ」

 後悔先に立たず。

 その言葉を噛みしめ、私は講義室へと向かった。





 その日の夕刻。

 大学中を探し、凪の学部の人達に突撃しても、誰も凪の消息を知らなかった。

 数人が「代返とノートお願いと今日電話があったよ、休むつもりじゃないの?」と言われた。


 大学内部での捜索を諦めた私は、凪のバイト先「祭」へ顔を出した。

「いらしゃいませ~!」と言う案内のお兄さんを振り切って、カウンターで仕込みをしていた店長さんに直撃する。

「柚月ちゃん。いらっしゃい」

「店長さん。凪、今日は来てます?」

 店内をザッと見る限り凪は見当たらない。

 落ち着かない様子を見せる私に、店長さんが物凄く複雑な表情を向け、厨房のお兄さんに「これ、後は仕上げやっといてくれ! 柚月ちゃん、ちょっとこっち」とスタッフルームと書かれた部屋へ通された。

「その辺に座って」

 適当に置いてあるイスの1つに腰かけると「タバコいい?」と店長さんが聞いてきた。

 ――これは何か嫌な話の前振りだな。

 そう感じた私は覚悟を決め、店長さんが話し始めるのをじっと待った。


「こっちも、困ってるんだよ」

 店長さんの話では、今日の昼過ぎ、自宅に凪から電話があり「しばらく休みます」と一方的に告げて切ったそうだ。その後、折り返し何度掛けても電話は繋がらなかった。

 それは、知ってる。私も朝から何度も凪の携帯を鳴らしたけど、その度に留守電に繋がったから。

 メッセージを店長さんは残したそうだけど、私はなにも吹き込まずに切った。

 数十秒では語れないから。

 機械越しではなく、目と目を合わせて話さなければならないから。



「柚月ちゃんは理由知ってる? って昨日のアレか?」

「……多分」

「凪も小さい男だなあ。柚月ちゃんだって、色々な付き合いってのがあるだろ? それをあんな顔して接客してたら居酒屋でなんて働けないってのに……」

「本当にすみません」

 私の態度のせいで、みんなに迷惑をかけていると痛感する。本当に軽率だった。

「凪の気持ちも分かるよ。おもしろくないのは当然だと思うけど、ちょっとやり過ぎじゃないか?」

「はい」

「心配だったんだろうな。柚月ちゃんが出ていってからの慌てふためきようはなかった。何か1人送って行くって付いて行っただろ? あれはマズイ。俺だって心配した」

「すみません」

「台風を理由に一足先に帰らせただろ? まさかバッタリとか?」

「はい」

「ああ……それは……」

 言葉を失くす店長さんに、私は猛省の意味を込めて頭を下げた。それ以上何も言われず「連絡があったらお互いに教え合おう」と約束して、祭りを後にした。





 家にもいない。学校にもいない。バイト先には休むと連絡してある。この調子では、家庭教師の方も休んでいるだろう。そもそも、どの家の子に教えてるか詳しく聞いてなかったので、探しようがない。

「凪……」

 どこに消えたのよ? 皆心配してるよ?

 店長さんも、私も、茶トラも灰色狼も。

 だから、早く帰って来て。



 木々の色が赤や黄色に変わり、紅葉した葉が風に巻き取られて散る。

 散って踏みつけられた紅葉は、もう利用価値がないかのように、人々に乱暴に片付けられた。

 涼しかった風が冷気を含むようになり、秋の景色は徐々に姿を消した。


 散歩に行く度に、どんどんと外の景色が冬模様になっていくのを感じながら、私は凪の帰りを待っていた。

 凪が消えてからひと月。

 今だ、連絡が無い。


 もしかしたら、もう、あの家には帰って来ないのかも知れない。

 もしかしたら、もう、他の誰かと一緒に暮らしてるのかも知れない。


 悪い考えばかりが浮かんで、落ち込みそうになると、私は茶トラと灰色狼を抱きしめた。

 2匹ともすっかり立派な成犬に成長していて、私の力では、2匹同時に散歩へ連れて行くのが時々しんどくなるけれど、この子達が居てくれてよかった、と心から思う。

 1人じゃきっと、この寂しさに耐えられない。

 凪がいない家は、なんだか偽物の絵画みたいで、寒々しい。

 夏に感じた温かさは、どこにも無い。

 凪がいないだけで。

 凪がいないと。

 ホロホロ零れる涙をそのままにしていると、いつも茶トラがやって来て側に居てくれる。灰色狼は強い目で私を見て「大丈夫だよ」と言ってくれる。

 この子達がいる限り、私はまだ、大丈夫。

 もう少しだけ、強がってみせる。

 泣いたり、慰められたり、強がったり。

 気持ちが揺れるひと月。

 凪、どこにいるの?

 私もう、限界かも知れないよ。


 零れた涙の滲む目に、キラキラ光る街が映る。

 カレンダーは12月を迎えていた。