狭い室内でグイグイ迫ってくる大澤凪と茶トラに、私は直に部屋の隅まで追い詰められた。 

「考えさせて……という答えは」

「柚月さん!」

「クゥーン……」

 2匹ともウルウルした瞳でグイグイと迫ってくる。これは、断る選択肢がないのか? 

 絶妙なコンビネーションで間合いを詰められ、私は思わず1匹を指差した。





「やられた……のかも知れない」

 私の部屋で美味しそうにドッグフードを食べる茶トラを見て、今さらながら大澤凪にしてやられたのでは? と後悔していたのだ。

「ワン!」

「しっ! 静かにね」

 このマンション気に入ってるのに、追い出されたらどうしよう。

 茶トラを選んだ私に、大澤凪は「今日は茶トラに負けました。仕方ありません」と言って、私に茶トラとドッグフードの残りを押し付けた。そして「あっ! 僕今日バイトあるんでこれで」と部屋を追い出されてしまったのだ。

 もちろん私の手には茶トラ。突っ立ってるわけにもいかず、そのまま部屋に連れ帰った。

 そして、現在に至る。

「とにかく、明日にでも大澤凪に言って茶トラを返して、後は大学で飼ってくれる人を探して……」

 ドッグフードをペロリと食べ終えた茶トラが、私のベッドで気持ち良さそうに眠ってしまったので、私も静かにシャワーを浴び、静かに時間を過ごして、静かに茶トラを引き寄せて、一緒に眠った。

 久々に自分以外の温かい生き物がいて安心したのか、いつもよりも深く眠ることが出来た。

「ワンッ! ワンッ!!」

 犬の鳴き声と何かに顔を舐められている感覚で目が覚めた。

 茶トラが私の顔をなめ回し、朝から元気に駆け回っている。

「茶トラ! しっ! 静かに! って言うか今何時なの?」

 まだカーテン越しに映る外の光が淡くて、朝早過ぎる時間なのは何となくわかる。

 時計を見ると「AM5:32」になっていた。

「5時30分! ウソ!」

 自慢じゃないがそんなに早起きをした事がない。

「勘弁してよ~茶トラ。さぁもう1回寝よ。ほらおいで」

 完全に目を覚ました茶トラがウロウロと落ち着きなく室内を歩いているのを見て、もしかしたらトイレとか? と思い当たる。

「ダメ! 茶トラ! 絶対に部屋の中はダメだからね」

 急いで着替え、散歩に連れて行こうとして気づいた。

「首輪もなければリードもない……」

 どうやって散歩に連れて行けばいいのか悩んでいる間にも茶トラの動きが忙しくなる。

 慌てた私は茶トラを抱えて、隣の部屋へ突撃した。

「あれ? 柚月さん。どうしたんですか? こんなに朝早くから」

 部屋を思いっきりドンドン叩いて、大澤凪をたたき起こした。ヨレヨレのスウェット姿で出てきて、今まで寝てました感が丸出しだ。

「茶トラ、おしっこ! トイレ! 散歩!!」

 乙女らしからぬ単語を連発しながら焦る。しかしこの件は急を要するのだ。

「あー。散歩かぁ。だったら僕も一緒に行くから、取りあえず部屋へ入って待ってて」

「一緒って急いでるの!」

「大丈夫、大丈夫。どうぞ、どうぞ」

 何となく導かれて部屋に入るものの、茶トラがいつ粗相をしてしまうか気が気じゃない。

「ねえ、首輪とかリードとかは……」

 持ってるの? と聞こうと大澤凪の方を見ると、普通に服を脱いで着替えていた。

「ちょっ! 何ぬいでるのよ!」

「え? だって着替えないと。流石にパジャマは恥ずかしいし」

 こちらの気持ちなどお構い無しに、大澤凪は脱ぎ散らかしていた、パーカーとジーンズに着替えた。

「茶トラおいで。白ウサギ、灰色狼、散歩に行こうか。柚月さんも行くでしょ?」

 テーブルの上に置いてあったリードを手に持って、私と子犬達に微笑んだ。





「こんなリードがあるんだね」

 マンションの外に出て、人に見られないようにこっそりと茶トラに首輪付きのリードをセットする。

「うん。首輪を買おうかと思ったんだけど、結局は他の飼い主を探さなきゃいけないのはわかってたし、首輪とか買っちゃったら、後々寂しくなるかなあって」

 新しい飼い主に引き取られて、首輪だけポツンと残ってたら、それは確かに少し寂しいかも知れない。

「ペットショップに行ったら、丁度いいのが売ってたんで買っちゃった。散歩には絶対に連れて行ってあげなきゃいけないし、リードは必要だったから」

 茶トラは散歩道を知ってるかの様に、私をグイグイと引っ張って行く。子犬なのに凄く力が強くてびっくりする。

「私、犬を散歩させるの初めてなんだ」

「そうなんだ! 犬好きって感じだから昔から飼ってるとか、そんなのだと思ってた」

「うち家庭内でペット禁止だったから、友達が犬の散歩に行くのを見てただけ。大澤凪は? 犬の扱い慣れているみたいだけど、飼ってたの?」

「僕も飼ってなかったんだけど、高校生の頃にペットショップでバイトした事があって、そこで一通りの扱いは教えて貰った。でもペットショップの犬は商品だからね。なんだか愛情に飢えてて可哀想に思う事もあって」

「そっか」

 ペットショップの犬は子犬の頃ならまだしも、少し大きくなって「商品」としての価値が下がると、業者に売られたりする……なんて聞いた事がある。もしかしたら大澤凪は、そんな犬達を見続けたからこそ、保健所に連れて行かれそうになっていたこの子達をほっとけなかったのかも知れない。

 何も言わずに、楽しそうに散歩をさせる大澤凪を見て、昨日、偉そうに演説ぶってしまった事を少し後悔した。

「柚月さん」

「ん? 何?」

「散歩って楽しいでしょ」

 大澤凪が、物凄く楽しそうに嬉しそうに裏表のない真っ直ぐな表情で微笑むので、私も同じ気持ちになってきて「うん」と答えてしまった。


 朝日が眩しいほど射して来て、見慣れつつあった街並みに輝きが増す。

 それは一人では決して感じることが出来ないであろう、温かで優しい光だった。